眠れない夜に 思うこと

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普段の生活の中では悲しみを表面に出さずに生きている

 ごまかし だましだまし 生きている

    それが

   悲しみなんて他人事~
     勉強しないと悲しみなんて理解できない人たち
       が
   偉そうに 悲しみについて語ったり
  遺族について説明したり
講演したり ネットに書き込んだりしているのを見てしまうと

  身体の奥から 悲しみが噴き出してくるのを感じる

    悲しみという真っ赤な血が  
               痛みと共にながれて くる

 フツフツと 怒りが湧く
    ケアとか支援とか言っている人たちに

  私の悲しみのケアが  
幸せで悲しみなんて勉強しなければ知らない人に
   できるわけがない

 そもそも グリーフのケアなんて 存在しない

  悲しみは愛しさと共に

   息子への愛が 私の悲しみ

   息子への愛を 他人がどうやってケアするのか
        親子の愛に 他人が入り込むなんて

     大阪ボランティ協会の出版の本に
  尊敬する上智大の岡先生のエッセイがある
「知らされない愛について」

その最初のページに
 大阪ボランティア協会の人が書いた
発刊にあたって
 という文書がある

やさしく想いやるのある文

 『心はどこにあるのだろう」
・・・・・・
・・・・・・・  ・・・・・

心はどこにあるのだろう
「心は;間;にあるんだ」
 花を見て美しいと思う心は
   花と私たちの間に起こる
   理不尽な出来事に遭遇してその事実を前にした自分に
  怒りの気持ちが沸き上がる、そういうものなのです。・・
・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ********
悲しいという心は
   息子と私の間にあるもの
悲しいという心は 息子を愛しているから

   戦争でたくさんの人が亡くなっても
      事故でも・・・
 自分が愛する人でないから
    息子を亡くした悲しみにはならない

  愛がそれぞれ違うように
  悲しみもまたそれぞれ違う

    そんな 悲しみを

     私の深い悲しみをケアなんて  
   笑い話です

      しかも 悲しみのケアは疲れます
  とか
   悲しみのケアをすることは 自分が豊かになれます
 とか
    悲しみのケアは喜びです

とか
  悲しみのケアは 人生の幸せです
  なんて
       発言されると

     いや~~~な 人間になってしまいます

    あなたの愛する人が 亡くなっても

      グリーフケアは幸せだと言えるのか
        喜びだといえるのか・・・と思ってしまうのです


   仙台市のいじめ自死の調査委員会の委員の選考が進まず
       教育局の対応が のらりくらり
          やる気ゼロに態度

  3人の中学生が亡くなっても
      全くやる気のない大人たち

      そんな 暖簾に腕押しの 
  煮え切らない  嘘ばかりの対応に
      心が悲鳴を上げる状態になっているのに

なんとかグリーフケア研究会の代表が
    神経を逆なでするような発言

      ナラティブスピリチュアルケア なんて 意味不明なセミナーを開催

   厚労省と何とかリンクが 理解不可能な自死の予防というトップセミナーを開催予定

      なんとか心のセンターは
子どもの心のケアシンポジウムを オーストラリアと韓国から講師を呼び開催

    ここは日本 しかも東北

 こんなことばっかり

    明日は13日のシンポジウムの資料の印刷

    知らなければ
        遺族がどのように思われているのか 
   支援はどうなっているのか
   知らなければ・・いや・・知ったとしても

      許せない・・・という気持ちにならなければ

       むすこへ愛と悲しみだけで 暮らしていたのかもしれない

    今月は 仙台市の自死の対策会議もある

  闘いです  会議は闘いです

   虚しくなるとわかっての戦いです

   お兄ちゃん  カァチャン  頑張るからね

   一緒にいるよね・・いつも

無神経な人たち

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シドニーの自死遺族支援の会議の3日間の中で
   グリーフという言葉は聞いたけど
グリーフケアという言葉は聞かなかった

  日本が異常にグリーフケアという事を信仰している気がする

   アメリカから参加していた人たちも  グリーフケアという言葉は言わなかった

     日本人は
悲しみにはグリーフケアが必要である・・と
   どこに行ってもグリーフケア
 誰もがグリーフケア

 グリーフケアを学んでいることがステータスのよう

     グリーフケアを学んでいる人たちには なんとなく同じ傾向が見える

彼ら自身が 人生に満足感を抱いていない

  だからこそ  人の不幸 人の悲しみ  を
       上から目線で ケアしてあげます・・なんて思っているのではないでしょうか

 自分の子供が突然自死しても

    グリーフケアで癒されるのでしょうか

      一か月一度 2時間のセッションで
         ケアされるのでしょうか

    しかも それが 喜びになるのでしょうか

      人の悲しみをケアする

     という人が  人の悲しみに接して  喜びを感じるとしたら
        心が歪んでいます

      一緒に悲しくならなくていいけど
(同じように悲しくなるはずがありませんから)

        喜びや心の豊かさを感じるのは 
            人として歪んでいるとしか思えません

    趣味として学ぶのは自由ですが
      
悲しい人たちを癒やす魔法のように 宣伝するのはやめて欲しい

   悲しみで全身が染まっているときに

      いかにも 救い人のように
  癒し人のように   手招きして 誘い

    他人の悲しい話を聞き
        自分と比べて 「かわいそうな人」「不幸な人」
                    「あわれなひと」
それに比べて
  私は幸せだわ・・・誰も自死で亡くならないし

     なんて・・・

    多分考えている

 だから  遺族支援をすることは人生を豊かにしてくれること
      グリーフケアを学び実践することは喜びであるなんて
    平気で講演し。平気でfacebookに書き、本にも書ける

  デリカシーの無い人たちが
      グリーフケアを広めているのではないかとさえ思う

     繊細な心の人たちは
   悲しみを抱えている人たちに
  ズカズカ寄ってこない

      土足で踏み込んでこない


   悲しい人たちに何もできない 無力であるといいながら

      寄り添うことはできるというが

     寄り添うってなに?

  12年になっても 
悲しい私の心に 
この悲しみのどこにどのように寄り添ってくれるというのだろう

 漠然と きれいごとで
  寄り添うなんて 言葉は使わないほうがいい

    寄り添えませんから・・・深い悲しみに・・・



      

どうしようもなくかなしい日

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どうしようもなく悲しい

   どうしようもない

    涙が込み上げてくる

健一がいない

  お兄ちゃんが死んだ

     わからない

今年・・・もうすぐ 12年になる

  いまも・・

どうにもならない悲しみに襲われる

   今日は 悲しみにつかまってしまった

    昨日・・・支援者たちの講演を聞きに行った

川崎まで・・・

   グリーフケアの著名な先生の話も・・・聞いた

     浅く・・薄っぺらい

   書くことと講演を生業としている人の話も聞いた

      東日本大震災の話を一人の人はしていた

    釜石・・・のこと

     浅すぎ・・・

       3月12日から・・・・遺体安置所や被災地で遺族が泣き叫ぶ様を・・茫然自失のさまを
                     観察しているだけ

       じゃま・・です  そんな人

         そんな時 グリーフケアも じゃまです

      東日本大震災の現場にきて
       人々が混乱し、悲しんでいるのを傍観して観察だけしているジャーナリスト

       血も涙も感じられませんでした

        支援者が豊かに…満たされる


      幸せな人たちが  悲しみ苦しんでいる人たちのケアをして
         心が満たされて  満足感を得る・・・
       人生が豊かに感じる・・・って

       遺族の悲しみは  幸せな人たちが 満足するためにあるのではない

         私の悲しみ
       息子が死んだこと

        支援者の人生を豊かにするために 息子は死んだのではない
        
    あさいあさい・・・愚かな発言に  笑うしかない

     ある精神科医・・・二人

    この人たちのほうが 苦しみや悲しみを抱えた人に対しての配慮があった

       昨日の今日

   なんか どうしようもなく かなしい

     どうして  死んだのかな・・・

   愛していたのに・・今も愛しているのに・・・


    心の底から 愛して続けているのに・・・

        大切な大切な子供です

       かけがえのない  たったひとりの大切な健一

    うすいあさい言葉で 慰めてほしくない

     私の大切な息子の命が軽んじられている気が・・・

  今日は  どうしようもなく 悲しい日
明日は
  うまくごまかせるかな・・・悲しみを    

   


   

10月13日 日本プレスセンター

160509_小林節氏代表-政治団体設立記者会見

憲法学者の小林節氏の基調講演

   2部は自死遺族等権利保護研究会の弁護士と司法書士の報告

      3部は全国自死遺族連絡会の報告
時間変更
   10月13日 金曜日  12時から14時半まで
     第6回自死遺族等の権利保護シンポジウム

  場所 日本プレスセンター 千代田区内幸町 日比谷公園近く (日本記者クラブ)

  選挙のために当初予定の会場(衆議院議員会館)が使用できなくなり
      延期にしようと悩んでいたら

小林先生が 会場を確保してくだいました。本当にありがたいことです

    議員の参加はゼロになるでしょう・・もちろん秘書も・・・
   残念です

   小林先生のご厚意に報いるには 一人でも多くの参加があることです

        遺族の皆さん  ぜひぜひ ご参加ください
         私たちの愛する自死した人たちのため
        私たち遺族のために
                 遺族でない人たちが 差別と偏見の是正のために
                     頑張ってくれています

       普段はなかなか入れない日本プレスセンターの10階ホールです

          小林先生の講演もなかなか聞くことができないと思います。


   私が送った資料を何度も読んでくださり
   深く悩んでいます・・という事でした

   確かに人権侵害です・・が
    文科的背景もあり  便乗もあり

    立法が必要です

  と   お返事をくれました

       自死遺族等への法的差別問題は 憲法ではどのような取り扱いになるのか・・・

              そんなお話をお願いしました。

      刑法の学者で
        ヘイトスピーチ禁止法の制定を叫んでいる人でさえ
        自死は犯罪だ!という人もいます

         自死の多くは追い込まれた末の死であるという
ことを   国が大綱や基本法で掲げていても
  ほとんどの人たちは
     故意の死である という認識です

         そのために  自死遺族は自死という事を語れずに
     嘘をつきながら・・・生きています

           自死であることを親戚にさえ言わずにいる遺族も多くいます

     自死した人たちの尊厳を守るためにも
           差別と偏見はなくしていきたいと思っています

      10月13日
           一人でも多くの皆さんにおいでいただきたいと

        願っています

      どうぞどうぞ よろしくお願いいたします。       

頑張ります

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 9月はメチャクチャ忙しかった

 10月も・・・

   明日はいじめ問題で市会議員と会う

   4日は東京
         13日のシンポジウムの会場の下見と
    シンポジウムのチラシのポスティング

        そして 5時に上智大学へ

       5日は藍色のこころサロン

         7日は川崎市  8日は石巻市

  その間に  電話相談・・
       資料の作成
     
   仙台市の会議
         円卓会議

  県の会議も近いうちに・・
  角田市も・・・

       12月の講演の準備
          ありがたいことですが 12月は3回の講演がある

        ワンストップ事業・・司法書士会・・仙台
    
   徳島市にも・・自死への差別問題・・・

      学校でもお話をさせてもらえることになった

       茨城・・・

    8月には水戸・・さざれの集いで講演

        講演や例会・シンポジウムやフォーラムを1年に20回ほど開催する
            司会や進行役・挨拶だけがほとんど

          自死という問題を通して  社会の理不尽さや矛盾を広く感じてきた

             ハッキリと 真実を指摘する私の講演は
                        苦手と思う人も多いような気がする

    でも 私は  ウソを言うつもりはない
    おべんちゃらを言うつもりもさらさらない

        詭弁は 嫌い
              息子が生きていたら  適当に愛想のいい人で生きていた私

    いくらでもお世辞は言えるし 合わせられる
          でも
        息子が逝き 人生は変化した

           お世辞で パフォーマンスで  きれいごとで
     自死は減らない 
      遺族の問題も解決しない

          本気で減らしたい
       本気で生きていてほしいと願っている
             本気で活動をしている

     いのちを削る想いを籠めて

     人が人を追い込まない社会に・・・

 ずるがしこい人が真面目な人を追い込まない社会に・・・

  やさしい人がやさしいままで 笑顔で  生きられる社会を目指して・・

     明日も頑張ります