差別を差別と自覚していない社会

miyamakaidou[1]

自死への差別は 是正されない
   偏見も・・・
       宮城県は 震災があってから なお一層 強くなっている気がする

    新聞も 自死の問題はほぼ取り上げない
    たまにいじめ自死の問題が取り上げられても 遺族の話ではなく
          教育委員会等のコメント

  そして 地域全体が  自死した子供を蔑み 親のことも蔑んでいる

    当然の権利として  情報開示請求をしても
     調査委員会が設置されても

       自分で勝手に死んで  それに気が付かない親も親だ
          学校は悪くないのに
            金が欲しいなんて ひどい親だ!とか
   普通に言われている

     議会でも  普通に蔑みの発言が飛び交う

     学校がいじめがあったと認めても
       議会も調査委員会の委員も
         子どもの責任と親の責任だという

     いじめた子供は 個人情報で守られ 
    親も子供も  幸せに何事もなかったかのように暮らし

    いじめられて死んだ子供は
     死んでもなお 蔑まれ 悪口を言われ
       親も 悲しみに追い打ちをかけられ 責め立てられる

   死にたい人なんていない

      何らかの原因があって 自死にいたる

    幸せなら死なない

     苦しみの中で死んで逝く

        幸せなのに  苦しんで死ぬ人はいない

     人が人を蔑むことは 

      傲慢そのもの

        自分はどれほどの 人物だと自負しているのか・・・

    同じ人間  大したことはない

          自死は弱い人 逃げた人

      という 発言をする人も多い

     無知は怖い

    生きているあなたは  どれほど強いのか聞きたい

        強い人が生きているのだろうか・・・

   そうは思わない

   いいかげんで 適当で
                  ずるい人が生き残っている気がする
          もちろん  私もその一人

     繊細でやさしいこころの人は
       今の社会は つらいかもしれない・・・

  見てみないふりをして
      みんなと同じことをして
 長いものに巻かれ
  権力に従い 疑問も持たず
     そんな生き方ができたら

                       追い込まれないで済むのかも・・・

  世の中は理不尽な事ばかり
          
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 お兄ちゃん

 かなしいね

     なんだろう

 とてもかなしい夜です

  

自死遺族として

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今年の春は いつになく自死遺族からの連絡が多い

    自助グループ  セルフヘルプグループ 本人の会

       「わかちあい」は当事者で・・・

  「総合支援」のためには
    それぞれの専門家と連携して・・・

    遺族が遺族とつながりたいと思うのは自然な事

      12年前は  遺族が遺族とつながりたいのに
         支援者が間に入らなければ危険だとされた
      しかも 支援者たちは 遺族同士がつながる事を嫌がり
       禁止・許可制にした支援者の会もあった・・

    私はほぼ遺族のハブセンターのような役目
          ソーシャルワーカーの役割

     遺族に元気に生きてほしい

   悲しみは 取り除けない
 悲しみはその人自身がその人なりに抱え方を模索するしかない
  相手の悲しみに 直接触れられない
      究極悲しい時は
        触れてはいけない
    自分で自分の悲しみを感じながら
      小出しにするか・・・ごまかすのか
どのタイミングで 悲しみと対峙するのか それともしないのか

    自分が自分の悲しみの専門家なのだから
      他の誰でもない  自分の悲しみは自分だけのもの

     「悲しい本」 SAD BOOK
  マイケル・ローゼン作  クェンティン・ブレイク絵
 谷川俊太郎訳
     この本を時々読む
「わらっている絵」がはじめにある
  :::これは悲しんでいる私だ
この絵では、幸せそうに見えるかもしれない
じつは、悲しいのだが、幸せなふりをしているのだ
悲しく見えると、ひとに好かれないのではないかと思って
  そうしているのだ

悲しみがとても大きいときがある
 どこもかしこも悲しい、からだじゅうが、悲しい
:::::
 ::::::
   とつづく

   息子が逝き 12年が過ぎた
     活動をして12年になる

   自死遺族は毎年15万人ずつ増えている
    これまで180万人が増えたことになる

    なのに どうして  自死への差別と偏見は根深くほとんどの人にあるのだろうか

自死遺族だって言わなくていい
   隠していい
でも
 他者の人に 話を合わせて 差別するのは やめてほしい

    せめて 自死遺族が 差別と偏見を持たないように・・・そこから広げたい

    日本人の半分以上が  親族の誰かが自死という社会が いつかは来る
   
   30年前からの遺族を数えたら
    4500万人が遺族

    全員が 意識して 自死への偏見をなくしたら
   世の中は変わる

   悲しみを抱えている分
        やさしく  元気で生きていきたい

     いまでも  息子はなぜ逝ったのか  納得していない

     明日は
  いじめ自死の調査委員会
    午後7時から

   補助金の報告書の作成がまだ・・・
     報告書の提出の締め切り日がもうすぐ
   
時々 なにをやっているのか・・と思う

   お兄ちゃん  カァチャンとりあえず頑張るね!

セルフヘルプグループ・・セルフヘルプとは

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今帰宅

藍の会  わかちあいの集い

    混乱状態のとき

   他者の気持ちに想いを馳せる事が出来なかった

  そんな時もある

     其の時に   じっくりと聞いてくれた遺族がいる
       同じ悲しみを抱えている遺族が

     聞いてくれた

      混乱の会話  一日に何度も  
              聞いてくれた

     そうやって 5年・7年・10年

      2~3年の遺族の話を聞きましょう

    聞いてあげませんか

それが  恩送り


   ゆずりあう  許し合う
      認め合う
   そんな心が大切

     自分だけが悲しいのではない

     お互いに思いやる気持ちが 自助グループは大事


   幸せな人が 悲しい人を  支援する会ではない

     話しベたな人がいる

スムーズに話ができない人がいる

     その人に気を使い
        じっと 全員で ことばを発するのを待つ会ではない

     自己責任で  話す

       話を振ることはある
          が
話しができない時に
     どうなの・・・それはどうなの・・・

    と 整理する会ではない

  それは わかちあいとは言わない

      言いっぱなし 聞きっぱなし

     カウンセリングの集いではない

         相互扶助

       話が途切れて  沈黙が続いたときは
           沈黙を破る

    その人が話すまで  じっと  何分も待つことはない

  せいぜい  30秒・・・60秒

  話したかったのに
   と
          人のせいにするのは 大人ではない

     話したいときは 話したらいい

 話せるように
  仕向けている・・・

   話すことができない人の  のどに手を入れて
   無理やり
   話させることはできない


     自助グループは  大人の会

     自己責任において 参加する会

       よしよし・・・頭を撫でられたい  人は

       やさしい支援者の会が合う

セルフヘルプ それが自助グループ

   セルフヘルプグループ

    それが自助グループ

 支援者は誰もいない

   でも

  会の準備は誰がしているのだろう

    お茶もジュースも
     お菓子も

椅子も テーブルも

誰が準備しているのだろうか

  資料も・・・

  誰かがしてくれている

 会場費も誰が払っているのか

    会場の確保も・・だれが

    誰もしなくても
    ひとりでに 会場が確保され
カギをあけ
  机と椅子が準備され

 お茶やコップが自動的に 並ぶのではない

    なにひとつ あたりまえのことはない

   4年・6年・・・10年
     と過ぎたら
   そんなことにも 思いを馳せてほしい

  と思う

感謝はなくていい

   不平不満は  ・・・・   あってもいい

     ・・・・?いいのかな

   会があるのは当然ではないのです

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悲しみを抱えながら
頑張って会を開催し
 続けている遺族がいるのです

     

  

明日は「藍の会」自死遺族の自助グループ


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  明日は「藍の会」
     2006年から続けている自死遺族の自助グループ

  「わあちあうこと」を目的としている

     受付も 準備も 全て自死遺族だけで行う

 途中参加もOK
  途中での退席もOK

   本名でなくてもいい
  どこから来たのかも言わなくていい

     スタッフはいない

     セルフサービス
      自分が飲むお茶やコーヒー、ジュースは 自分で選んで自分で注ぐ
   
  最後の片づけはみんなで行う
泣いていた人も・・・・・・・全員で片づける
 それが自助グループ

 お客さんはいない
  支援者もいない


   お客さんになりたい人は支援団体が合う
       かわいそうな遺族でいい人は  支援団体が合う…と思う

  自助グループは  対等 相互扶助
 おたがいさま
     支え、支え合う
藍の会に
12年間 お茶やコーヒージュースを支援してくださる方がいる    
   
     自死が語れない死というが
 誰に語れないのか

  それは 他者に語れない

      身内以外に知られたくない

   できれば身内にも知られたくない

      と思ったから

 自助グループを立ち上げた

     悲しみを知らない  幸せな人たちに
       私の大切な悲しみを話したくない

    サラッとはできるかもしれないが
   深い話はしたくない

     話したところで  憐れまれるだけ

  かわいそうな人と思われるだけ

      惨めになりたくない

    お兄ちゃんを蔑まれたくない


   だから  自助グループのわかちあいを大切にしてきた

     同じ苦しみ 同じ悩み 同じ悲しみ

   
        少なくとも  他者よりは 共通の部分があるから

           話さなくても  わかるものが多い


    社会は他者の中で生きていくこと

       幸せな人に合わせて  生きている

           たまには   本音で 素の自分でいたい

      そんな ひと時を大切にしたい

         「わかちあい」は 私には 必要な時間


    

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パンク!

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仙台で 誰でもが参加できる「藍色のこころサロン」を
  2007年2月から開催してきた

青葉区で月に一回だったのが 月に2回になり
  太白区長町で カウンセラーに任せて 月に1回

 毎月3回開催してきた

   6年 引き受けてくれた人が70歳でやめて
  その後は みやぎの萩ネットワークのカウンセラーが交代で参加してくれていた

    でも それぞれに都合がつかなく
           来年度からは閉会とした

    毎月 私は出られない
  藍の会と重なる月は 無理

     まぁ~しょうがない

      仕事としている訳ではないので
            こんなことはある

     忙しすぎて
        やるべきこともできなくなっていたから
               いい機会だったのかもしれない

   電話やメール
  相談  行政  団体  協会  マスコミ

     一人で 補助金の申請と報告

   それが
    全部で10

     相談電話が 一年に3000~

         一人  パンクしています

    目いっぱい  100パーセント 自死の事に力を注いで12年

         息子と語り合いながら・・・

    息子は 時々 ストップしてくれる

         全ての相談のハブの役目

     やらなければいいだけ

   私が やりたくてやっているだけ

         なんか エネルギーの消耗が最近激しい


      69 歳

        配分を考えないと  走れない


    休息の全くない12年

        ダメだなぁ

     今日は船岡

    相談者の地域に出かける

         明日は東京

  あ!

    書類 4箇所  送んなきゃ! ヤバイ