亡き人からのご縁

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   法話の会

関西は尼崎市や葛城市
   最近は三宮市
関東は
 茨城県内の浄土宗のお寺さんで開催

 自死遺族の会は国の対策になっていて
全国の自治体    
保健所や精神保健福祉センターで 仕事として開催されている

しかし
 病気や事故・交通事故・等の死
    子供を亡くした親が集える場所は そんなには多くない

  商売として開催されている会はあるのかもしれない

がしかし
    純粋に 同じ目的を持つ遺族が集う場所は少ない

   悲しみは同じなのに・・・

思いは同じなのに・・・

  法話の会も含めて  公開されて開催している会は
     あらたな 参加者を快く受け入れてもらいたい
       先輩の遺族が  あらたに遺族になって 苦しみ悲しんでいる人を
  あたたかく迎えてほしい

   自分が苦しい時 居場所を作ってくれた人たちがいる
      その居場所を 自分だけの 自分たちだけのものにせず
   自分が与えてもらったように
       求めている遺族に 与えてほしい


それが 恩送りということ

    受けた恩を 恩を与えてくれた人ではなく
      自分がして貰ったように 次の人のつないでいく
その行為こそが
    亡くなった人たちへの 回向
回向とは
南無阿弥陀仏と唱える事だけではない
日ごろの生き方
  心の持ち方も含まれる

やさしさ
 おもいやり
       それも大切な功徳
 回向となる


   誰かの努力で  設置されている公開しての会に参加している人たちは
      必要としている人を
          やさしく迎え入れるべきである
会を立ち上げた人たちは
 必要としている誰もが参加できるように願ってたちあげている
だから
 自分たちが参加できた

会を継続することは容易いことではない
   立ち上げは簡単
でも 継続は地味な努力の結晶

   目立たないところで 会の継続のために
    いろんな 作業や いろんな人たちとのつながりを大切にしている人達がいる

    恩義に感じなくてもいい

       日の浅い遺族に
  やっと たどり着いた 遺族を  迎え入れる  広いふところを持ってほしい

   全国自死遺族連絡会は
  やさしい人がやさしいままで笑顔で生きられる社会を目指してきた

      数少ない 遺族が集う場所を

       公開し 必要とする人たちと つながってください

   亡き人たちからのご縁
       亡き人たちが結んでくれたご縁

   大切に 大事に  しませんか?

自戒を込めて!

hasu-2[1]

  

     

知らなくてよかった世界

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自死した人と
  生きている人は100パーセント違う

     自死した人の苦しみは 生きている私にはわからない

  私が活動をしていなければ 見えなかった世界がある

    息子の自死がなければ  活動はしていない

    生きていたら  今ごろは孫に囲まれて
     海外旅行でもして

 大好きな  糸を紡ぎ 染め  機織りをしていた
その予定だった
  老後は好きな事をして暮らそうと思って働いていた

     人生は予定通りには行かない

     もちろん  ブログなんて やろうとも思わなかった

 パソコンに向かう気もなかった

    自死の問題なんて 他人事だった 関心もなかった

     息子が逝き
            半年後に 活動した時から

    私の知らなかった世界を知ることになり

       差別を受け 蔑まれた

今 自死問題の活動をする人たちには それなりに知られるようになり
     蔑まれることは なくなった

  でも

   自死そのものに・・・自死遺族そのものに対する差別は
          頻繁に聞こえる 

   ネットは特に怖い

    裁判をすると 子どもが死んで 金が欲しいのかと言われ

      死んだのは 親のせいだといわれ

      家を覗かれたり

          学校では 自殺したんだってな!と 言われる

     ゴミを捨てに行っても  聞こえるように 自殺だって!と言われる

       過労自死の場合

    みんな同じように働いて 死んだのは一人・・と言われる

学校も  いじめは 日常茶飯事  
 でも死ぬのは  一人・・・
他のみんなは 自分で解決している・・・
  親が気が付かないから
   親子の仲が悪いから
     親も発達障害だから

  家族全員 精神疾患だから・・・

 お父さんは 単身赴任でいないのに

 自死する前の日に  お父さんが激しく怒ったから・・とか 言われる

 晩酌が  酒乱といわれ

     借家に住んでいると  貧乏だから  
         ろくな教育もしていない・・とか

   反対に  持ち家だと
      借金だらけだってさ!と言われる

   旅行に行くだけで
       死んだ子供の金でいったんだよ・・・いやだね・・・とか

    夫の自死の場合は

     夫婦仲が悪かった・・

      殺したんじゃないか 生命保険金ほしさに・・とか

    とにかく  いろんなことを言われる

      教師は通夜に来て 出世が遅れた・・と遺族にいう
         怒らないで育てたから  簡単に死ぬ子供になったんじゃないですか・・とまでいう

     教育委員会や教育局の言動は
        蔑みそのものである

      市役所の職員は偉く 市会議員も偉く
      自死した人の家族なんて
       無知で 貧乏で 愚かな 人 
 着ているものまで批判される
      
    活動をしていなければ  叩かれることもない

      が どんなに叩かれようとも
活動は息子を救えなかった罪滅ぼしだから・・死ぬまで続ける

    知らなくてもいい世界だった
 知らないほうが幸せだった

    息子の死で  私は知らない世界を知ることになった

      この活動は仕事ではない

    自死の予防や防止・・調査委員会や議会傍聴
        裁判傍聴
            そんなことに12年間かかわっていると
いろんな人に遭遇する

  自死の対策会議で
  行政職員が 「自殺という言葉は縁起が悪い 会場の前に自殺対策・・と書いてあって入りたくなかった・・」
   自殺という文字を見ると気味が悪いという職員もいる

  瀬川さんが書いた「自死」という本を持っているだけで
  近づかないでください・・気持ちが悪いですから・・と言われたこともある
   行政職員に・・・

   署名運動していたときは

  近寄るな!うつる!と叫ばれた事もある

      息子が自死というだけで
 文字や文章も読めない人!という 扱いを受けたこともある

時には 子どもが死んで悲しいというけど
  子供を殺す親もいるんだから
     みんなが悲しい訳ではない・・と言われたこともある


    かなしい 社会です

差別を差別と自覚していない社会

miyamakaidou[1]

自死への差別は 是正されない
   偏見も・・・
       宮城県は 震災があってから なお一層 強くなっている気がする

    新聞も 自死の問題はほぼ取り上げない
    たまにいじめ自死の問題が取り上げられても 遺族の話ではなく
          教育委員会等のコメント

  そして 地域全体が  自死した子供を蔑み 親のことも蔑んでいる

    当然の権利として  情報開示請求をしても
     調査委員会が設置されても

       自分で勝手に死んで  それに気が付かない親も親だ
          学校は悪くないのに
            金が欲しいなんて ひどい親だ!とか
   普通に言われている

     議会でも  普通に蔑みの発言が飛び交う

     学校がいじめがあったと認めても
       議会も調査委員会の委員も
         子どもの責任と親の責任だという

     いじめた子供は 個人情報で守られ 
    親も子供も  幸せに何事もなかったかのように暮らし

    いじめられて死んだ子供は
     死んでもなお 蔑まれ 悪口を言われ
       親も 悲しみに追い打ちをかけられ 責め立てられる

   死にたい人なんていない

      何らかの原因があって 自死にいたる

    幸せなら死なない

     苦しみの中で死んで逝く

        幸せなのに  苦しんで死ぬ人はいない

     人が人を蔑むことは 

      傲慢そのもの

        自分はどれほどの 人物だと自負しているのか・・・

    同じ人間  大したことはない

          自死は弱い人 逃げた人

      という 発言をする人も多い

     無知は怖い

    生きているあなたは  どれほど強いのか聞きたい

        強い人が生きているのだろうか・・・

   そうは思わない

   いいかげんで 適当で
                  ずるい人が生き残っている気がする
          もちろん  私もその一人

     繊細でやさしいこころの人は
       今の社会は つらいかもしれない・・・

  見てみないふりをして
      みんなと同じことをして
 長いものに巻かれ
  権力に従い 疑問も持たず
     そんな生き方ができたら

                       追い込まれないで済むのかも・・・

  世の中は理不尽な事ばかり
          
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 お兄ちゃん

 かなしいね

     なんだろう

 とてもかなしい夜です

  

自死遺族として

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今年の春は いつになく自死遺族からの連絡が多い

    自助グループ  セルフヘルプグループ 本人の会

       「わかちあい」は当事者で・・・

  「総合支援」のためには
    それぞれの専門家と連携して・・・

    遺族が遺族とつながりたいと思うのは自然な事

      12年前は  遺族が遺族とつながりたいのに
         支援者が間に入らなければ危険だとされた
      しかも 支援者たちは 遺族同士がつながる事を嫌がり
       禁止・許可制にした支援者の会もあった・・

    私はほぼ遺族のハブセンターのような役目
          ソーシャルワーカーの役割

     遺族に元気に生きてほしい

   悲しみは 取り除けない
 悲しみはその人自身がその人なりに抱え方を模索するしかない
  相手の悲しみに 直接触れられない
      究極悲しい時は
        触れてはいけない
    自分で自分の悲しみを感じながら
      小出しにするか・・・ごまかすのか
どのタイミングで 悲しみと対峙するのか それともしないのか

    自分が自分の悲しみの専門家なのだから
      他の誰でもない  自分の悲しみは自分だけのもの

     「悲しい本」 SAD BOOK
  マイケル・ローゼン作  クェンティン・ブレイク絵
 谷川俊太郎訳
     この本を時々読む
「わらっている絵」がはじめにある
  :::これは悲しんでいる私だ
この絵では、幸せそうに見えるかもしれない
じつは、悲しいのだが、幸せなふりをしているのだ
悲しく見えると、ひとに好かれないのではないかと思って
  そうしているのだ

悲しみがとても大きいときがある
 どこもかしこも悲しい、からだじゅうが、悲しい
:::::
 ::::::
   とつづく

   息子が逝き 12年が過ぎた
     活動をして12年になる

   自死遺族は毎年15万人ずつ増えている
    これまで180万人が増えたことになる

    なのに どうして  自死への差別と偏見は根深くほとんどの人にあるのだろうか

自死遺族だって言わなくていい
   隠していい
でも
 他者の人に 話を合わせて 差別するのは やめてほしい

    せめて 自死遺族が 差別と偏見を持たないように・・・そこから広げたい

    日本人の半分以上が  親族の誰かが自死という社会が いつかは来る
   
   30年前からの遺族を数えたら
    4500万人が遺族

    全員が 意識して 自死への偏見をなくしたら
   世の中は変わる

   悲しみを抱えている分
        やさしく  元気で生きていきたい

     いまでも  息子はなぜ逝ったのか  納得していない

     明日は
  いじめ自死の調査委員会
    午後7時から

   補助金の報告書の作成がまだ・・・
     報告書の提出の締め切り日がもうすぐ
   
時々 なにをやっているのか・・と思う

   お兄ちゃん  カァチャンとりあえず頑張るね!

セルフヘルプグループ・・セルフヘルプとは

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今帰宅

藍の会  わかちあいの集い

    混乱状態のとき

   他者の気持ちに想いを馳せる事が出来なかった

  そんな時もある

     其の時に   じっくりと聞いてくれた遺族がいる
       同じ悲しみを抱えている遺族が

     聞いてくれた

      混乱の会話  一日に何度も  
              聞いてくれた

     そうやって 5年・7年・10年

      2~3年の遺族の話を聞きましょう

    聞いてあげませんか

それが  恩送り


   ゆずりあう  許し合う
      認め合う
   そんな心が大切

     自分だけが悲しいのではない

     お互いに思いやる気持ちが 自助グループは大事


   幸せな人が 悲しい人を  支援する会ではない

     話しベたな人がいる

スムーズに話ができない人がいる

     その人に気を使い
        じっと 全員で ことばを発するのを待つ会ではない

     自己責任で  話す

       話を振ることはある
          が
話しができない時に
     どうなの・・・それはどうなの・・・

    と 整理する会ではない

  それは わかちあいとは言わない

      言いっぱなし 聞きっぱなし

     カウンセリングの集いではない

         相互扶助

       話が途切れて  沈黙が続いたときは
           沈黙を破る

    その人が話すまで  じっと  何分も待つことはない

  せいぜい  30秒・・・60秒

  話したかったのに
   と
          人のせいにするのは 大人ではない

     話したいときは 話したらいい

 話せるように
  仕向けている・・・

   話すことができない人の  のどに手を入れて
   無理やり
   話させることはできない


     自助グループは  大人の会

     自己責任において 参加する会

       よしよし・・・頭を撫でられたい  人は

       やさしい支援者の会が合う

セルフヘルプ それが自助グループ

   セルフヘルプグループ

    それが自助グループ

 支援者は誰もいない

   でも

  会の準備は誰がしているのだろう

    お茶もジュースも
     お菓子も

椅子も テーブルも

誰が準備しているのだろうか

  資料も・・・

  誰かがしてくれている

 会場費も誰が払っているのか

    会場の確保も・・だれが

    誰もしなくても
    ひとりでに 会場が確保され
カギをあけ
  机と椅子が準備され

 お茶やコップが自動的に 並ぶのではない

    なにひとつ あたりまえのことはない

   4年・6年・・・10年
     と過ぎたら
   そんなことにも 思いを馳せてほしい

  と思う

感謝はなくていい

   不平不満は  ・・・・   あってもいい

     ・・・・?いいのかな

   会があるのは当然ではないのです

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悲しみを抱えながら
頑張って会を開催し
 続けている遺族がいるのです