山形の青い会にいけばよかったと後悔している

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今日、山形の「青い会」にいこうかどうか
昨日からまよい 寝ていても 頭から離れず ギリギリまで決断できずにいた
 なぜか 気になって
      書類書きと御礼状と手紙・・・
        書類の整理が 山のようにたまっていて・・・
           優先してしまった

    これでよかったのだろうか・・・と 今も気になっている

     なぜか・・・わからないが気になっている

     あれもこれも 自死の課題が見える
        か
  能力が追い付かない

   自死への差別と偏見は いたるところにある
      
   遺族が中心になっていないから・・・

      遺族の事ですら  遺族は蚊帳の外

     蚊帳の外という事に 気が付いていない遺族がほとんど

     「自殺総合対策大綱」「自殺対策基本法」が存在することを知らない人が多い

      毎年多額の税金が投入されているのにもかかわらず
         ほとんどの人は無関心

     自死以外の対策も 多くの人たちは無関心

     自分のことなのに・・・

 自分の知らないところで 自分たちが語られ
      差別や偏見の目で対策が作られていることも知らない
  知らないほうが幸せという言葉が日本にはあるが
   私はそうは思わない
   無知と無関心は 
      社会を偏らせる

  いじめと不登校が蔓延している学校という社会

       それはどうしてなのだろうと最近思う

    野田先生や堀先生と学校について話すことが多くなり
  教職員組合の人たちや高校の校長からも話を聞き

      最近の中学校は 部活も必須に近く
        柔道剣道という武術を推進し
      1分刻みでスケジュールが決められ
          体育の時に着替えたら  制服に着替えずに ジャージのままで
  授業を受け・・・午後の掃除に備え
     部活にと流れる

    午前中に体育があったら 午前中からジャージで授業を受け、昼ごはんもジャージ
       午後の普通授業は全てジャージ

   着替える時間がもったいない・・・という考えのよう

      1分2分 どうでもいいと思うのだが・・・
どうにも細かい
   挨拶もロボット・・・いや 軍隊のようにハキハキというらしい

      大人の都合に合わせる 教育

     子供時代は二度とない貴重な月日
    大人の時間は長い

     子供時代はあっという間

       5歳は5歳なりの
  10歳は10歳としての
 その年齢にしか体験できない
    自由な発想を楽しんだらいいのに

    大人の発想を押し付け
 大人の価値観を正しいと決めつけ
     大人がみて いい子供を育てようとしている
 
   昔天才 今普通  
       よくある話

    軍隊のように 制服を着て
  軍隊のように 隊列を組み
  軍隊のように 教師の命令に従い
  親のいう事を聞き
    いい学校 いい大学  いい会社
 成績だけよくても
     人間としてクズのような人がいる
  教授でも医師でも 
    人柄が最低の人も多い

   義務教育は 社会に出て 幸せに暮らせる知識を身につけること

  それだけでいいのになぁ・・・

  なんか違う
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自死と遺族への偏見と差別

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   自死と自死遺族に対する偏見と差別は
      私の想像をはるかに超えて 根深く 多くの人たち様々な職種の人たちの存在する

   一見理解があるように思える人たちも
   実は心の底には 自死と自死遺族への偏見があるのを
       会議や会話の中に発見する日々

   まだ マスコミの人たちのほうが 偏見と差別が少ない

     例えば 自死遺族の支援という事で
       自死遺族のための会を開催している支援者たち

    支援者団体の多くは 自死遺族にマスコミの取材を受けさせない

     取材をしたいという話がありますという事も伝えない

          遺族は取材を受けないと決めつけている

      自助グループ・・・私は取材の話は 記者と深く話をして
       この記者なら・・と思った時は
    遺族に話をしてみる  取材を受けて 公開することで 生きる力を得る遺族もいる

 伝えたいと思っている遺族もいる

      受けるかどうかは その人が決めること・・・

もちろん 断っていいとも伝える

        取材の途中で 無理なら 私が断ってあげる

   遺族には絶対に取材は受けさせないと決めているのが支援団体に多い

        また
    いじめの調査委員会などでも

   遺族は 教育委員会や調査委員会の人の訪問を受けないと決めている事も多い

       委員会の報告とあいさつに行きたいということで遺族に頼んだ結果
     「どうぞ」と言われて 戸惑う事務局

       断られることが前提で お願いをしている

       だからOKがでると  「遺族が家に上げるなんて…焼香をいいというなんて」
     と発言してしまう
          つい本心が出てしまう     

       委員会の一般公開も同じ

       遺族が公開するはずがない
なぜなら  自死遺族であることを知られたくないはずだから・・・と決めつけている

  だから一般公開でお願いしますと遺族に言われ

 戸惑ってしまい
  個人情報が・・・遺族は知られたくないと思うから・・と遺族の前で発言してしまう

  いや・・・だから 遺族がいいと言っているんですよ・・と 
       大きな声になってしまう

     遺族は隠れているもの

 遺族は語れないもの

 遺族は意見を言えない

   遺族は貧乏で汚い家に住んでいる

      服装もみすぼらしい

     という意味の言葉が  深く考えず出てしまう人たち

     思ったよりも きちんとしていた・・とか

     意見を言ってましたね・・・とか

          また 遺族が家族を亡くすることのつらさや悲しみを語る一方で

 普通に生活を過ごしていることに衝撃を受ける支援者もいる

  仕事を続け
   学校に通い 家事をすることが
      不思議だと思うような人が支援者にはいる

 要するに 毎日が通夜や葬儀の日のようであると思っている

   毎日が 支援者の前でかなしみを語る生活だと思っているのだ

しかも
 自死遺族というカテゴリーなのに

 友人知人も恋人も同僚も・・・自死遺族という見解が一致していないとまでいう始末

      自死遺族とは 読んで字のごとく 遺族である
遺族とは
 民事上の遺族という意味で
国語辞典だと身内という
 身内とは 親子兄弟など ごく親しい血縁関係にある人 
また死後に遺された家族とある
家族とは親子・兄弟・夫婦などの関係で結ばれた人

なのに なぜ遺族のくくりに
  知人友人恋人を入れるかどうかで見解が一致しないのか理解できない

    自死遺族が意見を言うはずがないという見解で
          このような意味不明な 事が まかり通っている

  このことにも異議を申し立てても無視されてきたことも事実である

  遺族の事なのに 遺族の意見が無視され
   支援者の意見で遺族の事が決められ 遺族とはこういう人たちだと
        論文になり 世界に広がる事も 許せない

     無知すぎる支援者が多い

   無知というか 知ろうとしない支援者が多い

     遺族にも 
自分たちが支援者からどのような目で見られているのかを知って支援者と接してほしい

 最初は無理でも  少しずつでもいい
    知ってほしい と思う

   それは 亡くなった家族の尊厳の為でもあるのです

   蔑まれないように

     苦しんで亡くなった人を ・・・

      遺族の生き方で  自死した人への差別と偏見はなくすることができると思う

     悲しくても苦しくても

      毅然と生きてほしい

 そう願っています

  倒れそうになるほど 悲しいけど
   凛と生きてほしいと願っています

 それが 亡くなった人へ 遺族ができる懺悔

  自戒を込めて hekizanen_renngeshouma.jpg
        

平凡な人たちが天才を発達障害と決めつけて排除している日本

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発達障害の専門家は本来は小児科医
小児神経(発達)

児童精神科ではなく
 小児神経(発達)が専門家医

   通信簿がオール5の子供を発達障害という保健師
   NHKのEテレでも放送していた

  担任が発達障害という診断をするのもおかしい

  うつ病のチェックシートで あいまいな問診を設置して
     うつ病の枠を大幅に広げて 患者を4倍に増やした
  
    発達障害もチェックシートによる問診で 簡単に素人が診断名を付けられるようにした
    
    本来は診断は医師でなければしてはいけない

    遺児免許の持たない人が診断することはできないはず

 しかし うつ病も発達障害も 普通に医師でもない人が決めつけている
  
日本国民 全員 精神科の医師免許があるかのような風潮がある

     私うつ病!あなたもうつ病
   友達いないなんて発達障害よ
   
  生きづらいのは発達障害

 53歳の一部上場会社の部長も大人の発達障害だと
医師に言われ    信じて クスリを飲んでいる
  
たぶん部長になった責任感や仕事への不安が
  落ち込むことになった原因で 精神科に行っただけの人

 53歳 発達障害だとしても
 もう人生半分以上生きてきたんだから これまで通りでいいと思う
 今更
  友達がいないから 発達障害だと言われて
  薬飲んで 友達ができるわけもなく
      老いていくだけ

    スポーツ万能 頭脳明晰

    どこが発達障害?

  頭脳明晰な子供が 全員育てやすい子供ではない
そもそも
子どもはうるさく とつぜん騒ぎ 意味もなく叫ぶ(意味がないと思っているのは大人の感覚)
  子どもの行動には理屈と意味がある
それを大人が理解できないだけ

   授業中 キョロキョロしたり他のことをするのは
  先生の授業が面白くないから つまらないから・・・

   忘れ物をするのは 生活習慣の改善でなおる

     遅刻も同じ

     落ち着きのない子供もいる

    大人になっても  会議で叫んだり キョロキョロする人はいない

  もしもいたら 発達障害かもしれない

 発達障害とは脳機能の障害
    たいていは知能の低下を伴う
 オール5の頭脳明晰で発達障害という診断をつける保健師は
    無知 ただし知識を持っていない
     医師の言う通り 権威ある人の言う通り
疑問も持たない人
 言いなりに生きている人
  
      平凡な人たちが 有能な人達を 障害者だとしている学校という世界

      おそろしいことがおきている

 世界を変えてきた人たち発明家や芸術家研究者たち等々
エジソンもシェイクスピアも
棟方志功や野口英世も   現在では発達障害と診断されて 
   精神薬を飲まされて
           廃人にされている       
   

追い込まれた末

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国の自殺総合対策大綱
「自死は追い込まれた末の死である」として
「誰も追い込まれない社会の実現を目指す」とうたっている

「死にたい人」ではない

〇のちの電話の標語に「死にたい気持ちに寄り添って」というのがある
「死にたい人」「死にたい人に寄り添う」とか
  死にたいという表現をする人たちが支援者には多く
  社会もまた「死にたい人」が死ぬのが「自死」という概念がほとんど

人間の本能である「生きたい」という人が大多数なのに
 「死にたい」と思う特殊な心を持つ人たちの死が自死
  という無意識の意識がある

 自死にかかわる 専門家や支援者でさえ 死にたい人という認識

  いじめも
いじめた側の加害者に注目しない
 いじめられた子供の性格や育てた親の責任に焦点を当あてている社会
  いじめた子供はそのまま放置
   いじめた子供の将来を考えて・・・というが
   いじめられて死んだ子供の将来は 考えてくれなかったから死んだのに・・
     生きていたんですけど・・いじめがなければ生きていたいのちで将来があったのです・・

いじめた子供だけが守られ
  いじめで死んだ子供は
  死んでも尚 蔑まれる
    発達障害とか思春期うつとか・・・
 いじめられやすい性格の子供だった
    親がいじめられれやすい子供だということを認識せず
        精神科の治療を受けさせないことがいじめが起きた原因だ
   いじめたのは
     そこにいじめられやすい子供がいたからで
   その子がその学級に存在していなければ いじめることもなかった・・・

   という言い訳
             いじめられて死んだ子供がいじめを誘発したかのような教育機関の
                答弁とマスコミ

    弱い人・逃げた人・がまんが足りない人
     いじめを苦に死ぬなんて・・・という認識

      いじめてはダメです 何の権利があっていじめるんですか

   人をなぜ追い込むんですか

なぜ 蔑み なぜ罵声をあびせ なぜ叱責するんですか
    なぜバカにするんですか

   人を追い込む人は  心が荒んでいます
    人を追い込む人は  不幸な人です  
      自信のない人

  人間のクズです

    今の日本は 幼稚なクズが多い

   息子が中学一年の時
     汲み取り便所で 数人に押さえられて
       大便の便器に頭を下げられ
  ズックであざができるほど  踏まれていたことがあった

    担任に相談したら
    「まじめすぎるんですよ」」と・・・

   まじめだと 便器に顔を突っ込まれて  あざができるほど踏まれていいのでしょうか

     あだ名をクソ健・・・
      それでいいのですか・・・

    学校と交渉を続け   
     子どもが担う委員会の委員を違うクラスの仲良しと同じに選んでもらったり
  2年はクラス替えはないのだが クラス替えをしてもらったりした

    息子のクラスは不登校が5人いた


  不登校の子供も 息子も
     そのクラスでなければ いじめられませんでした

 いじめられて当然という子供はいません

  いじめてはいけません
    パワハラもダメです

  罵声もダメです  ののしりもいけません

   人が人を追い込んではいけません

     死にたい人なんていません

     死ぬほど苦しめられているだけです

     最後の最後の 砦であるべき
       精神科医療も
  むしろ 追い込む側です

     自分たちの事は自分たちでやるしかない

   そして少人数でも やさしい心ある人たちはいる

     心のある人たちと 人のやさしい社会を目指す努力を続けるしかない

    自死しましたが
息子は頑張って生きようとしました
 生きてきました
    やさしい人でした

   やさしくて死にました

    死にたくて死んだのではありません

  言い続け伝え続けて行きます

自死対策が生活の糧・・・カリスマ?専門家?

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 12年間自死の問題だけを考え生きてきた
 息子が生きていたころは
   幸せな不平不満を言い暮らしてきた
  息子が逝き 24時間365日 いつもどんな時も
  自死の事だけ
    たくさんの資料も読み
   いろんなセミナーに出かけ 
   要望し
     意見を言い 講演もしてきた
本も書かせてもらった
  新聞にも寄稿や投稿もしてきた

    純粋に この問題だけで12年間生きてきた

    講演で得たお金は活動につかい
 年金も全て自死の活動に使い
      
     ご寄付も全部 自死の活動だけに使い
         相談を受け 会を開催し
      様々な人たちと交流し 連携を広げ
    意見を聞き 学び
      自分の見識を高め 自死という問題を多面的に視ることを考えてきた

   新聞に掲載されることや
 テレビで報道されることも 講演も
    なにもかも 自分が声を出すことで 少しでも遺族につながってほしい
またこんな遺族がいることを知ってほしい
   そして
元気で生きてほしいと思ってきた

  悲しい気持ちは  どうすることもできないと分かっているから
  せめて 元気で健康で生きてほしいと思う

   自分が出たテレビを見ることはほとんどない
       誰か必要な人につながってほしいだけ

   遺族である私を必要とする時に つながってほしいだけ

  つながらないほうが幸せな 縁ですが
      亡き人からのご縁が あった時は
          つながって・・・と思って活動をしています

そして
 誰も自死しない社会の実現
  自死遺族が増えない社会

     遺族の会が必要とされない社会

     そう願いながらの活動です

  この活動で 生活費を稼いでいる人たちも大勢いる

  支援が仕事の人たち

  支援の対象はあったほうが収入が増える
  支援の対象となる
    苦しい人が減ったら 支援者は必要とされなくなる
  そうなったら
支援者自身が困る
 生活費が稼げない  失業するのである

 苦しい人 悲しい人が減る社会は失業へとつながる
    
  死にたいと思う人が増えた方が 仕事も増え 収入も増えて行く

    自死がゼロになることは 支援者には幸せではない

  矛盾したことになるのです

  精神障がい者も増えた方が援助者にはいい
      発達生障がい児童も支援施設には増えたほうがいい

仙台市は発達障害の施設が二倍に増え 支援者の就職が増えた
 これが減ったら
 失業者が増えてしまう

   施設の収益のためには 障がい児が必要

 自死の問題の支援団体でそれが職業の団体は
     自死が減ったら 仕事が減り収入が減るから
  死にたい人がほどほどいてほしい

    彼らは 苦しい人が元気になっていくことも望んでない

   社会に苦しい人がたくさんいた方がもてはやされる職業

  よほどの理念を持ち合わせてないと道を踏み外す

     施設維持のために 障がい児の枠を広げることにもなる

      自死の問題はこのままでは

      大変な事態に発展すると思う
   
   怖い

  自死遺族の権利は守りたいと思う


 憲法13条は守られなければならない