自助グループと悲しみの考え方



,自助グループの研究の第一人者 世界的権威のある先生
 
Thomasina Borkman 先生


  日本にお呼びして 講演をして頂いたことがあります。

「わかちあいから生まれる体験的知識」

あなただけができる、しかし、あなただけではできない 自立と相互扶助

 一人でもできるけど みんなで一緒に行動する

セルフヘルプグループの定義
  共通の悩みや病気を抱えていること
 メンバーはグループを自分のものとし 自分たちで運営している
決して専門家が支配してはいません  
支援者と支援される人という立場の違いはありません

 共通の問題をわかちあいによって変えていく解決していく
 自分たちの間で体験的知識をつくっていく

 セルフヘルプグループとセルフヘルプサポーター
  そしてソーシャルワーク
 という論文があります

  岡知史先生とボークマン先生が書いた論文です

  そして 岡先生と一緒に世界で論文発表しているのは

   悲しみは愛しさと共に  という考え方

   愛があるから悲しい
     愛する人の死だから悲しい
亡き人と自分の間にある「愛」が「悲しみ」なのだ・・というかんがえ方

    それは世界共通のもの

シドニーで開催された自死遺族支援の会議での遺族たちの発言

     誰も一人も グリーフとはいうけど グリーフケアの言葉はそこには存在しない

      参加者全員がグリーフはケアということではないという事を知っている

   日本だけのようだ グリーフケアなんて声高に支援者たちが叫んでいるのは・・・

      アメリカらデンマーク 香港・・様々な国の遺族や支援者も誰も グリーフとは言うけど
グリーフケアという言葉は 言わなかった

    そもそも

なぜ 遺族でもない 悲しみを体験したこともない人から
  遺族が 悲しみの症状を学ばなければならないのか・・・理解に苦しむ

死別後に起こりやすい、心と体と行動の変化についてなんて
   誰よりも遺族が遺族自身の事を知っているのに教えようとするのか 意味不明

遺された人が抱きやすいさまざまな感情について
 これも 遺族自身が誰よりもしっています

   遺族ではない人たちが
遺族の悲しみについて学ぶのは ありですが

 遺族がなぜ 遺族以外の人から
遺族に起こる 感情について教えてもらわなければならないのかわからない

    その人の悲しみはその人自身がもっともよく知っています

   それを認め合い

     わかちあうこと  が  自助グループ

  悲しみもまた 私のもの
 誰のものでもない 私の悲しみはわたしだけのもの  なのです

自助グループの定義

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自助グループの定義がある

  世界で自助グループの研究をしている研究者たちがいて
      定義を示している

  自助グループではないのに 自助グループと名乗っている団体が多い

    自助グループとは

     会の運営も含めて持ち主が当事者本人であること
        スタッフも含めて全員が当事者であること。

自死遺族の自助グループとは
    代表も自死遺族  スタッフも自死遺族
        持ち主も自死遺族
 会の運営に関しての全てを自死遺族が決定実行すること


   自死遺族の  自助グループに
 自死遺族以外の人たちが応援するとしたら

       お茶やお菓子を買ってきてくれる・・とか

      チラシの作成をしてくれる…とか

会場の設置と片づけをしてくれ・・とか

   裏方のお手伝い

  あくまでも黒子でのお手伝い

      わかちあいの時間に入ったり
             会の運営に口出しをしたり・・・はしないこと
    
  よくある自助グループと名乗っている支援グループとは
    代表が自死遺族
  スタッフに自死遺族以外の人がいる会

   代表が病気の遺族で スタッフが自死遺族

     代表が事故の遺族でスタッフがボランティア

 保健所が開催して  自死遺族がスタッフ

   病院が開催して 代表が自死遺族

      もつとたくさん   様々あります

これらは自助グループではありません

      病院内で開催して  開催の決定権が病院にある場合
        参加者が当事者だけでも自助グループではありません

  主導権が病院にあるからです

      自助グループがよくて支援者グループが悪いというのではありません

      きちんと区分けしたほうが 参加する側にとって 傷つけられる事が少ないからです

   遺族だけと思って参加したら 遺族以外の人がいた・・・

また反対に  カウンセラーや医潮がいると思って参加したのに
  遺族だけだった・・・という事も起こります

   自助グループと支援者グループ・専門家グループやセラピーのグループ
        グリーフケアのグループ
   行政のグループ
           様々なグループを あいまいに言わずに
      自分たちの特徴を出した方が 遺族の選択肢が増えると思います

  ただ
私は「わかちあい」は当事者・・・同じ悲しみ・同じ苦しみ・同じ悩み・・・持つ者同士でしかわかちあえないと思っています。
「わかちあい」は自死遺族同士で

 他の支援はそれぞれの専門家にお願いしたいのです

     自助グループの定義は上智大学の岡教授の講演記録を読んでくだされば
       詳しく書かれていますので 理解できると思います。

  アメリカのボークマン教授(自助グループの研究者の世界の権威者)の講演記録もあります

定義は大切です

   自助グループとは?も知らずに 自助グループと名乗るのは
      自助グループの研究者に失礼な事です。

   正しい知識を身に着けて
     名乗りましょう

繰り返しますが

 自助グループがよくて  支援グループがだめだとは言っていません

  私は「わかちあい」は自助グループ 本人だけで成立すると思っていますから
      わかちあいとしての自助グループを広げてきました

  わかちあいの自助グループ活動は

     自死遺族のための 総合支援の一つです

     様々な専門家たちとの連携で「生きる」「総合支援」の構築をしてきました

     全国自死遺族連絡会は総合支援の団体です

想像性に欠けるいじめの対策

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生徒がいじめられた

   いじめた生徒といじめられた生徒を同席させて
      指導したから
         いじめが行われない・・・と信じていた

    そんな弁解を仙台市の教育委員会はしている

 アホとしか言いようがない

   いじめる生徒が その程度でいじめをやめるわけがない

   チクった・・・ということで  更に陰湿に いじめが行われる

   相談したことで 更にいじめがエスカレートし、いじめがひどくなると
       二度は相談しない
    また相談したら  今よりももっとひどくいじめられる・・と思うから

      どうして  そんなことにきがつかないのだろう

    教師・・・教育委員会の人たちの多くは  いじめられた経験のないエリートなのではないのだろうか

       いじめというものを知らない教育関係者たち

         今もあるようだが  昔の昔
いじめが発覚すると

  「みんな目をつむって」
    「さぁいじめた人は手をあげて」と教室や講堂で教師がいう

       想像してみて下さい

誰が手をあげるでしょうか・・・

  薄目をあけて 見ているかもしれない  中で  正直に手をあげるくらいなら
  いじめていません

   いじめをする子供が  正直ものだと信じているのが不思議

正直に手をあげる   ような  いい人なら
   いじめはしていません

   もっと いじめる側の心理
       犯罪者の心理

     ウソを言う心理   人間の心理

      いじめられている子供の恐怖心・・を  学ぶべきです

  いじめの皆無な 集団はあり得ません

  集団ある所に  必ずいじめはあるのです

  それが  人間です

        宗教者でも・・・いじめはあるのですから

     SOSの出し方教育に力を入れると国は言っていますが

 これを強く推進した 自死の対策団体と議員連盟・・・

    SOSを出しても その後の対応が今のままだと
        チクった・・ということで  更に暗闇の中でいじめは陰湿になるだけです

      どうして 当事者の声が届かない対策や指導になるのかが不思議です

         当事者が  支援者よりも  当事者のことを知っているのが普通です

 当事者よりも  支援する側が当事者の問題を知っている・・というのは錯覚です

      大きな間違いです

     病気の仕組みや治療に関しては 患者よりも医師が知識があるでしょう
      しかし
      他の多くは 体験した当事者本人を超える人はいません

 体験した人の話をまとめる人はいるでしょうが
      まとめるだけで 経験はない
痛みがないのです

しかも  想像力不足の人が多い

     立体的に 総合的に 物事をとらえる力

     いじめやパワハラなどの対策  自死の対策には

  それが大切です 

体験的知識とは

無題

息子のお墓のある正円寺の境内にある桜 
   ピンクの桜が散ったころに~八重桜と同じ時期

「 新たな自殺総合対策大綱の在りかたに関する検討会 」

明日5月26日  最終会議が開催される

     委員として参画し 意見を述べてきた
 もちろん提言書も提出してきた
   明日の会議が終わると 今度は厚労省からパブリックコメントが募集される

一人でも多くの遺族からのコメントが届くことを願っています
 
    遺族の声が反映されない遺族支援
        反映されるためには~
   陰でいくら言っても届きません

       公開しての意見を届けることです

     多くの人たちは 自死に対して偏見と差別を持っています
    好んで死んだ
     自分の意思で死んだ  逃げた  卑怯者  弱い人
        みんな苦しいのに・・・
          頑張って生きているのに・・・
      苦しみに弱い人  忍耐強くない人
   貧乏人  知識のない人
     祟られる  お化けになる
   浮かばれない   あの世に行けない
   地獄に落ちる
            うらめしい・・・
おぞましい  ぞっとする  気味が悪い
       遺伝する 

遺族の傍に近寄ると 不幸が移る
 
まぁ・・・・それはそれはたくさん・・・の偏見と差別

  だから  ほとんどの遺族は 自死という事を隠して生きている

     日本は「支援者」が偉くて  「当事者」は 下に見られる

   本来は対等である       障がい者の当事者運動は 対等の立場まで 高めてきた

しかし
自死遺族の運動は  そこまで広がっていない

  まだ11年の歴史しかないのですから・・

    これからの活動の継続次第~

  支援者を否定はしないが
  支援者が当事者よりも わかっているというのは 間違えである

  当事者のことは当事者自身が一番わかる

ある認知症の家族の話

  研認知症についての修会
偉い先生が来て講演・・・
認知症とはこういうものですという内容がほとんど

認知症の家族の介護をしている家族にとって
  認知症とは・・・と説明されなくても 毎日24時間認知症の家族と暮らしているから
    認知症とは・・・が よくわかっている

 具体的に こんな時はどうしたらいいのか・・という事を学びたいのだといっていた

自死遺族も同じ
 自死遺族支援のための研修

遺族支援の団体代表という肩書で
  自死遺族のことを語る
時々
 支援団体の遺族のスタッフが語る

 遺族個人の体験は 誰も反論できないが
       それが支援の全てではない
それはその人個人の体験に過ぎない

 公的な支援をどうするか・・という研修は

    もっと多くの遺族の声を集めたものであることが必要である

 この間 国の対策の中心の機関に行き、遺族への支援について
少し話した・・が
 初めてです…そんな話・・・という事がたくさんあった

    たくさんの遺族とのつながりがなければ 気が付かないことが多い

 耳の不自由な遺族・・・聞こえない遺族
   その人が「わかちあい」の会に参加したい・・と望んだ時
      どういう準備をしたら「わかちあい」に参加してもらえるのか・・・

   妊婦さんの遺族・・・
  生まれたばかりの赤ちゃんを抱えている遺族・・

 車いすの移動の遺族

      高齢者の遺族
                 家族全員での参加希望の遺族
    ・・・・・
・・・・・ 一人ひとり 事情が違う

   そんなことを 想定もしないで  「わかちあい」の開催をする支援者  

  そして「悲しみ」以外の相談ができる「支援」機関の設置

    それも 多くの遺族支援団体は 考えていない

   私一人の体験は 支援の幅は狭い

   10,000人の遺族の声は  10,000通りの支援が必要となる

     それに気が付かない 支援は  深い支援にはならない
    上っ面の
       支援にしかならない

   上っ面の支援も必要だけど

   支援の全てではない
                       研修するほどの支援ではない9e950a7af07f5498f0c0ac489158043e26d95154_95_2_9_2.jpg

いじめと自死と支援と対策

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青森のいじめの自死~
審議会の報告書案
*思春期特有のうつ病*を自死の一因とした

審議会の委員の顔ぶれをみたら こうなることは予想できる

  精神科医を委員にするのは 認めるとしても
     アメリカ型の精神医学の医師ではこうなる

人間の感情・・・喜びも悲しみも怒りも・・・全ての感情が精神病という考えなのだから・・・
   原因のある落ち込み
原因のある悲しみ
   それら全てが精神病である・・・
                         という考え方なのですから

   いじめられて怖い・・・いじめられて不安だ
      これらも全て精神病という考えですから

子供を亡くしてかなしい  さみしい  苦しい
  これらも・・・

店の経営が上手くいかない
   客が来ない  売り上げが少ない
 給料が出せない

   不安だ  希望が持てない 眠れない

   精神病ですから

 普通に考えたら  病気ではないと思うはず

 でも 彼らの頭脳は 人間の感情の全てが精神病~精神薬

   ロボットのような感情のない人間が普通の人間らしい

      狂っています。

  悲しい時に悲しいと感じる
 苦しい時に苦しいと感じる
    喜怒哀楽のあるのが人間

   いじめをなくすることなんて 学校も含めて教育機関は考えていない

     なぜなら いじめをなくする対策なんて 文科省もどこも考えていない

      いじめがあったら  SOSを出す方法を教えよう・・と言っている大人たち

    SOSを出しても  聞くふりをして  スルーするだけのくせに

         いじめた子供に配慮して
 裁判は非公開が多い    いじめた子どもの人権は守り
 いじめられて死んだ子供には人権はない
     いじめたこどもをなぜ守る・・のか
いじめられた子供を守ってほしい

ずるい人だけが 生き残る社会でいいのだろうか

    100歩1000歩譲って うつ病だから死んだとして

    もともとうつ病ではなかったのだから

 うつ病を発症する原因を作ったのは  いじめではないのだろうか

  いじめた子供ではないのか
          相談してもスルーした学校ではないのだろうか

   いのちが喪われた事実は  重く重く受け止めるべきである
     学校ですよ・・・学校        

  なんで簡単に うつ病などというのでしょう

     自分の子供や孫が同じようにいじめで死んでも
         そういえるのでしょうか

 こんなときこそ  「寄り添う」気持ちを持ってほしい

    自死の大綱に 関係者支援という項目があるが
          関係者支援の前に
   遺族の支援をきちんとしてもらいたい
遺族の支援もできてないのに・・・・
 遺族を傷つけておいて  何が関係者支援でしょうかe2b7e2453d75c58d9c6ee786ebf814c21a857055_95_2_9_2.jpg