昔 昔  津軽の学校で 標準語で話す息子のほうが 言葉が変だといじめられた

20120705080041.jpg

千葉市のは花木:夾竹桃

 健一は 千葉市で産まれた  3歳まで西千葉の「千葉大」の隣の合同官舎で過ごした

   標準語で話す彼を 津軽の子どもたちは津軽弁で「いじめ」た

「僕」っていってるよ・・・気取って・・・と・・
  
   自分たちと少しだけ違うということでいじめが始まる

   自分達が 津軽以外で過ごしたら
 津軽弁しか 話せなければ   都会で仕事もできないことなど 彼らは知らない


     みんな  認め合い支えあって生きて行く事が大切なことなのに

    いろんなことへそれぞれが差別反対というが  自分の事は敏感だが

    自分は差別をしていないだろうか・・・とおもう

 全ての事に 差別や偏見がない・・・と 言い切れない自分がいる

    あまり 差別や偏見がない 性格だと自負はしているが

       
   一つのことしか見えなくなり・・・自分だけが正しいと思う心は傲慢

  
        反省をしない人は強い

   自分勝手な人は強い

       心が痛む人は  反省を知っている

    後悔も知っている

         ・・・・・・・・


   道がずれてしまう人はたくさんいる


      それが人間なのだろう


   大きなことをいい  偉そうなことをいい

    人の道を外してしまった人


      反省はないのだろうか

   ・・・・・・・


   欲望に倒されてしまう人

      いろんな欲望に・・・


   息子が生きていたら  欲望の塊のような私だった


    息子が自死して   生きることの意味を問い

         自分の残りの人生 できる限りの欲望を取り除こうとおもってきた

   それでも 煩悩だらけだが

      せめて 人の道は外さない・・と 思っている


     自分の心を満たす為に

     人の心を痛めることはしないように・・と

   自分の本能を押えずに 欲望を優先して

      人の気持ちを踏みにじることはしないように・・と


    それでも  どこかで 人を傷付けているのかもしれない・・・


     津軽弁しかはなせない子どもが

        標準語の子どもの言葉が変だといじめるように

  自分の世界しか知らないことで 
       誰かを何かに  偏見と差別のこころをもってはいないだろうか

     
本当に  自分は正しいのだろうか

     正義なのだろうか   自分が間違っているのではないだろうか


        そんなことを  いつも  息子に問う   


  健一は 死んでも 忙しい
         
  ダメ かぁちゃんが  生きているから 息子は大変

  



        
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント