自死へと追い込んだ社会が悪いのではなく・・・追い込まれて死んだ人が悪い・・という  若者の考えは大人の縮図・・・いまの日本の縮図

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健一の好きなガーベラの花

 福島民法「十代の声」というコーナー

  ◆悲しい事故死 怒り募る自殺◆

   高校生 17歳  郡山市 

 過日、私の家のすぐ近くにに住んでいて御世話になった方が亡くなった。
交通事故だった。
5歳年上で、私がどんなわがままを言っても笑って接してくれるような人だった。
白い布団に寝かされている顔を見た時は胸が痛んだ。今にも起きだして「久しぶり」と言って照れ笑いを
浮かべそうだった。その後、私の後輩の父親が同じく交通事故で亡くなった。
人の命はあっけないものだと思った。
現代は自殺者の増加が問題になっている。
私は自殺のニュースを聞くたびに怒りが込み上げてくる。
生きたくても生きられなかった人がいるのに、どうしてもっと大事にしないのだろう。
そんなにいらないなら、その命を近所のお兄さんや後輩の父親にあげてと思う。
日常生活でも「死にたい」「死ね」という言葉が頻繁に飛び交う。
悲しいとしか言いようがない。
何を思ってその言葉を口にしているのか。
私は絶対に精いっぱい生き抜く。


  

  一字一句 同じに記載しました。自殺という言葉も含めて。


  みなさんは  どう感じますか・・・


 17歳   だから  浅く  狭い  範囲でしか物事が見れないのだとはおもう

      それは 17歳に失礼かな・・・


  自殺は  生きていたくない・・・こんないのちいらない 


          安易に  悩みもなく  幸せなのに   死にたくて死んだ・・・

        生きることを放棄したように捉えられておる


        この17歳のような考え方が 世間一般の声だと思う

     深く考えたら

       人間は 誰もが死が怖い 死にたくない

          と わかる  人間の本能は 死にたくない


        だから 太古より  死の恐怖の克服のために

    宗教が生まれ  大いなる力を持つ存在に 身を委ね  救って欲しいと 祈った


       病気の先にある死から 逃れたいから  医療が生まれた


         くすりができた・・・・


     何にも悩みがない人が
      簡単に  本心から  「やったー」「死ぬよー(笑)」「バンザーイ 死ぬのは楽しい」

         と 死ぬんだと 思っている  としたら


      あまりにも  しあわせな人すぎる


   死にたくない  生きていたい   


       その苦しみの中で  死ぬしかなかった・・・

死ぬことを強要した社会がある・・・

     その社会の一員が自分でもある・・ということは

        わからないのだろう

   死ねということばが 頻繁に飛び交う環境に居て

          死ね  という人に  
  なにもしないのは・・・ 見てみないふりは・・・

    同罪 

 死ねというひとと 死にたい人とは 違う

   死ねというひとは  死にたいとはいわない


      死にたいと  死ぬのは違う


  自分の 命を大事にしないから・・・自死

   ではなく   


  相手の命を大事にしない人が  人の命を簡単に追い込むのである


      追いこまれた人が悪いのだろうか

  追いこまれた人に責任があるのだろうか
    

          

      
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