死というできごとへの差別・・・  生きていても差別・・・死んでも差別(生きている人たちが)

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自死した場所は 汚れた場所のように 賠償金だ!慰謝料だ!
    お払いだ!
          そこで死んでなくても
                 自死を図った・・・というだけでも
   請求がくる・・・


 だが・・・震災で大勢の人が亡くなった場所は
      税金を投入して、未来永劫遺そうとしている

 それも・・・たくさん・・・町ごとに・・・

    過疎地に・・・誰も住まない場所に

     あっちにも  こっちにも

     遺すことが  良い行いのようにいわれている

  死はこの世では同じではない・・・のだ・・・とおもう

  病院で死んだ場合  病室はお払いはしない  


   腐敗していても・・・病死は 賠償金の請求はない


    自死は  そこの場所で息をひきとってなくても   気味が悪いといわれる

なぜだろうか

     生きている人たちの気持ちの中に

       罪悪感があるのでは無いのだろうか

    恨んで死んだのではないのか・・・追い詰めたのでは・・ないか

       という

  それを  思いたくないから

      死んだ人が悪い・・という ことにしてきた・・・それが広まった

  死にたくて死んだんだから・・・

     という考えが大勢である

   息子は 死にたくない・・・・死が怖い・・・と

   ずっと強く思って生きてきた

      だから・・・病院にもいった・・・

   くすりも飲んだ・・・

       なんにもなかったら  死なない

   死んでしまうほどの苦しみがあったのだろう


    しかし   精神薬を呑んでいなかったら  生きていたように思う


     むしろ  精神薬は  彼を死に追い込んだ 原因の一つ

  仕事のことや人間関係のこと
     家庭のこと

       も   解決の方向が見えていた

    精神薬が  1ヵ月半で マックスになった(心療内科の処方としては)

   そして・・・それを 一気に  取り上げた嫁

    (無知は罪である)

  自死という死
          震災での死

   病死  事故死  犯罪死  ・・・・死への差別は

    自死にだけ・・・


 何か  悪いことでもしたというのだろうか

      息子が自死した  


    のは  悪でしょうか

          罪人でしょうか

  汚れているのでしょうか

    差別思考は  思わぬところに 現われる

 事故の現場も残そうという・・・尼崎の事故・・・

       被災地も  ・・・・

 
   遺さないまでも   気持ちが悪いという精神的苦痛への慰謝料や
               賠償金の請求は 自死だけ

    私の息子は  優しい子ども

    死んで・・・他人に祟りません

      恨んでもいません  誰のことも・・・

    死・・・に  差別や偏見がある・・・のは

       科学的社会ではない・・・


    生きている私たちは  みんな遺族

   そして  いつか全員死ぬ 


    
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