悲しみの深さだけ・・・やさしいこころを持てたら・・ やさしさが広がったら・・・人にやさしい社会になる



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月曜日に 自殺は「殺」という文字の通り罪のある死だ!

      今も苦しんでいる・・と 私に言った 住職と 会う・・・(在寺なら・・・) 

    息子は 苦しんでいない

     死後まで 苦しんではいない   信じている


    苦しくて自死した・・そんなに苦しんだ人をお釈迦様は救わないはずがない

                大いなる神も  救わないはずはない

     たましいは救ってくれる

         苦しみ悩んだ人や死者のたましいを救わないで 


        どんな人を、何を救うのが宗教なのか 


  神様や仏さまは「癒してくれる存在」「ケアしてくれる存在」


     命は救えないが、たましい、心を救うこと・・・それが宗教
 
     信じることを教え説き  伝える 役目を担っているのが

          宗教者
        

    そして  悲しみを比べて  自分のほうが悲しい

    あなたは  私よりも悲しくない・・・ということを

      相手に言うのは  悲しすぎる・・・

    悲しいもの同士   悲しみ自慢して  も
         
        かなしくなるだけ


  悲しみは消えないし薄くもならない

   軽くもならない
            物質では無いから


   亡くなった人を大切に思う心を否定するような

      宗教者は  本物ではない


  遺族も  亡くなった人を大切に思ったら

        悪口は言わず  悲しみくらべの言葉はいわず

       (それぞれが  世界で一番悲しいのですから)

     優しい気持ちでいてほしい


   優しい気持ちは  功徳を積むことにもなる

  



  

    
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コメント

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そのご住職さんと私も話したいです。

素朴な疑問・・・

死後の世界は死んでみないと分からない・・・と思うのはアタシだけ?

自分の大切な人が苦しんでないと思うんだから、苦しんでないよ。


阿弥陀如来は、どんな人でも救って下さるお役目なのでは?

もし地獄に落ちても地蔵菩薩が救って下さるのでは?

アタシは仏像や曼荼羅に込められた思いや歴史は、こう習いましたけど。
宗派によって違うのかしら?


亡くした人を半年や1年で忘れたら、年忌も盆も僧侶の出番はいらないよ。
あっ・・・そうか・・・あの世でも苦しんでるから供養をするって意味かしら?


アタシは愛しているから供養も続けてるんだけど、それは病気なのかしら?

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毎月

毎日落ち込むけれど特に毎月息子が自死した24日近くになると特に心が錯乱して自制がきかなくなり凄く悲しい大きな穴は埋められない。

誕生日

12月9日は私の誕生日。いつも亡くなった息子は贈り物をくれました レッグウォーマー 老眼鏡ケース 今年は来てくれません 頭の中でビニールテープにぶら下がっている息子の姿がずっと回っています。すみません苦しいです

心ない言葉

気持ちは良く解る 解る訳がない!ちゃんとじょうぶつしたのか?ひどい 毎日昌也が死んだ悲しみを抱えいるのに、心をえぐらないでそっとしてほしい