遺族の悲しみが 支援者の心を嬉々とさせ、人生を豊かにさせているらしい

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 今日はお寺さんの総会 夫と行く 息子のお墓もあるので昨日に続き今日もおまいり


   できる限りお寺さんの行事には参加することにしている

 
 支援者たちは 遺族が多く参加すると嬉しいらしい

   嬉々と 気分が高揚するようだ

   求められている嬉しさ  人を助けている満足感

      救ってあげてる喜び


 慈しみ溢れる行為をしている 慈善という行いをしている充実感


    普通にメールで表現したり  通信の後記で書いたり

     講演会で話したり・・・ホームページの主催者挨拶に載せている支援者たち


  遺族がたくさん集まると・・嬉しいんだ・・・へーぇ~~~~

        という  冷めた目でみるのは 遺族だからかなぁ


 悲しいご縁   つながらないほうが幸せなご縁

     それが 遺族の会

  「新しい遺族が毎回参加して・・・嬉しいです」というコメント  って  どうですか?


     遺族の会の代表として・・・遺族への思いは欠片も感じられない

              自分の満足感だけ


  遺族の参加が少ないと不機嫌になる  遺族支援の専門家(自称・・・癒しの伝道師)


 不思議な人たちが多い  のが  自死遺族支援者という人たち

   私が信頼している人たちは

  自分を支援者だと思っていない

    遺族支援をしているという意識はない

     一緒に歩いて・・自分に出来ることをやらせてもらっているだけ・・・

        と  言ってくれるひとたち

   それが  本当の支援者だと  思う


支援してますアピールの強い人たちの支援は  自己満足の支援


      支援しているという意識を持たない人たちの支援は  寄り添う気持ちの支援

     
        寄り添う・・ということも  支援される側が思うかどうかが大切   


           支援者側が  寄り添ってます  というものではない


   あたらしい遺族の参加が増えたのを喜ぶ  遺族支援者が

              これからも増えるのでしょうね


  大切な家族を亡くした 遺族の悲しみが 支援者の人生を豊かにしている


   そんな声も支援者には多いことを  知ってほしい     


   
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コメント

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支援者……。 上から目線では 私はされたくない 必要ないです!

自死で家族を亡くし、何が何だかわからない混乱状況の時に、ああだこうだ
言われても頭にも、耳にも入りません。

私は人の声が聞こえなくなり、そのうち自分の話してる声も聞こえなくなりました。

おそらく体が自己防衛してたのではないかと思ってます。

少し落ち着いても、今度はなぜそんな話になるの?と傷つくことたくさんありました。

悲しい縁だけど、遺族は亡くした人や状況の違いあっても、なんとなく理解できる部分があり、安心できます。

自死遺族支援だ、自死防止だ、と声上げてる人たちの言葉の多くに疑問感じることもたくさんあります。

だから遺族の話に耳傾けて、と言いたいです。

でも、すみませんが、、、と言葉付け加えても、ただの苦情としか受け取ってくれない支援者の存在もありました。

そんな人がいくらきれいな言葉発していても、遺族には届かなくなる時が来ます。

まず当事者の話聞かない支援の意味を問いたいです。

それは自死遺族支援や、自死防止だけではなく、どんなことでも当然のことではないでしょうか?

医師が、患者の訴え聞かずにどこがどうなのかわかるのでしょうか?
食物アレルギーある人に何も聞かず、食事出すでしょうか?

極端でしょうが、そんなことを考えたら、わかることではないかと思います。

博美さん 私の知り合いも お子さん3人皆亡くされ お母さんは耳が聞こえなくなりました!今は 治りましたが…… やはり 彼女も 自己防衛だったと思う…と話されていました お身体 大事になさってくださいね。

由理さん、お心つかいありがとうございます。

約2年半悩んだことまだすっきりはできてませんが、少しづつ少しづつの状態です。

それには遺族さんたちの直接の支援のおかげと、そっと見守ってくれ、決して見放さなかった方たち(自死遺族支援者)の存在のおかげです。

遺族の声に耳傾けてくれない支援者には、はっきりNO!と言えるようになりたいです。

それが私の生き直し?かもしれないです。

いつ躓くかわからない不安ありますけど。。。

山口さんへ

『生き直す』か… いいことばですね
明日からそう思って生きて行きます

hikariさん、優しい言葉ありがとうございます。

まだ生き直せれるか不安なのですけど、悲しみの中でうずくまってだけはいられないなあ~と思っています。

そう思わせてくれたのは、多くの遺族さんたちの存在と、決して見放さなかった人たちの存在です。

転んでもつまづいても、泥だらけでも、起きれたら、起きようと思えたら、
死んだ者への顔向けできるかと思いました。

傷ついても、傷つけても、生き残った以上できることはしたいです。

まだまだ不安と迷い抱えてます。

言葉だけで終わることないように、といつも思ってはいます。