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終末医療での患者や家族と自死遺族は同じではない・・・

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ご遺族・・・ということば「ご」とわざわざ何故つけるのか

丁寧語??私は小ばかにされている気がする・・・「私は遺族ではない!あなたは遺族ですよね!」という確認に聞える
「ケア」ということばも上から目線に聞える




大津秀一氏

「遺族ケア」という言葉
苦悩と向き合う遺族を私達はどのように支えていけばいいのだろうか。〔支えてくれなくていい)

喪の課題

喪失の現実を受け入れること
悲嘆の痛みを消化していくこと
個人のいない世界に適応すること
新たな人生を歩み始める途中において個人との永続的なつながりを見出すこと


悲嘆カウンセリングの原則
延々とつづく

援助する・・・援助する・・・
最後は病的悲嘆を見出しより詳しい専門家に紹介する

介入し、援助する・・・

悲嘆学者という存在があるようだ


悲嘆にくれている人に「同行する」という考え方
カウンセラーは服喪者に寄り添い、同行し、双方に役立ちうる方法でその経験をわかちあう


カウンセラーと遺族何を分かち合うのだろうか
同行って・・・カウンセラーはいつも一緒にいてくれるのだろうか

 四国遍路のことが引用されている
弘法大師は目には見えないが〕巡礼者の常にそばにいて、加護を授けてくれていると言われている。
遺族の悲嘆への支援者は「同行」の姿勢であたるのが望ましい


って・・・

弘法大師と同じところに立てる・・・という考えが傲慢である



支援者という言葉も嫌いです


 なぜこうも日本人は傲慢なのだろうか

  宗教心が無くなったから???



神に仕える人間が、

人々の悲しみや苦しみが「神」ではなく
「グリーフケア」という考え方が人々を救う・・・という考え方でいいのだろうか
大いなる神が救ってくれるの・・・というのが神に使える人間の精神のはず


 自分が信じている神よりも、「人間が考えたグリーフケアが心を救う」という宗教者って・・・

   本当に宗教者?


精神科医や臨床心理士は心の専門家なのだろうが・・・私の心の専門家ではない

  私という人間の心の専門家はわたし


 支援者は謙虚に・・・学者は日々精進を・・・
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何かで読んだことがある

終末医療の患者は、ベットで
介護を受け
亡くなる時には見守られ
気の毒ではあるが
まだ幸せ   と
そして遺族にだって違いが
「どんな病気だったの?」
「大変だったワね」
「きっともう苦しまなくて、いくらかでも楽になってるよ」等々

これが、事故やじしや事件などなら大違い
「ええッ!!  やだッ!!」
になる

これも 差別? 偏見? これはなくならない
何も亡くなった人が、恨んで出てきますよ~~ どょよ~~ん
なんていってないのに
ナンだったらいってやりたいようなきもする
亡くなった人でなくても、私が死んだらね! と 必ずね と ナンだったらその時を待ってなね と
プロフィール

藍たなけん

Author:藍たなけん
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仙台に住んでいます。
青森県津軽生まれ、B型 うお座 
主人と二男と3人暮らし
自死で長男を亡くしてます。
「悲しみは愛」「悲しみは愛しさと共に」「悲しみは私の体の一部」「悲しみを奪わないで」「悲しみを消そうとしないで」などを広めています。

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