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自死という死の心理的瑕疵扱いについて

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なぜ「心理的瑕疵」を認めるべきではないのか

1) 学説からみると
京都大学法科大学院 学長 横山美夏教授
「不慮の死であれ自殺であれ、個人がそれぞれの生を生き抜いた結果としての死につき、特定の態様の死に対する嫌悪を裁判所が正当とすることは、それぞれの生が等しく価値を有するとする、
個人の尊重(憲法12条・13条)ないし個人の尊厳(民法2条・憲法24条)に違反しないのかという疑問が生じる」、
「民法2条により、民法の解釈にあたっては、
生の終着点である死はその態様いかんにかかわらず等価値に扱われるべきであり、
また、不必要な死は極力回避されなければならないが、生じてしまった死それ自体を否定的に評価すべきではないと言える・・・」自殺の事実にに対する消極的評価を前提として、
通常一般人が「住み心地野の良さ」を欠くと感じる時は自殺の事実が瑕疵となるとする裁判例は
、民法2条の趣旨に反する。同条の趣旨からすれば、たとえ通常一般人がそのように感じるとしても、
まさに規範的な意味でその合理性が否定されるべきではないか」と述べている。
(個人の尊厳と社会通念―事故物件に関する売主の瑕疵担保責任を素材として)
 「『法律時報』85巻5号 13年5月」
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そもそも瑕疵とは一般的に物理的な瑕疵を意味し、これを心理的なものにまで拡張するべきではないという説が昔からあります
我妻栄氏「債権各論・中巻1」288頁、
広中敏雄氏「債権各論講義」71頁

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心理的瑕疵という考えでの事故物件という扱い
心理的瑕疵は自死あるいは死や穢れに対する偏見や迷信に由来するものであり、自死を差別的に取り扱う要因にもなります。自死に対するこうした否定的な評価は日本特有の偏見であり、欧米ではそのような取り扱いはなされていない。

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