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自分の名前の文字「幸」が苦手になって17年

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2005年に息子が逝き
  年賀状はそれ以来 出さないと決めた

自分の名前の文字が「幸」という漢字なのだが、 抵抗がある
「 おめでとう」という言葉にも抵抗がある

 使わなければいけない時があるので 使ってはいるが
    申し訳ないけど
100パーセントの「おめでとう」にはなれない

  生きている人には申し訳ないと思うけど
   どうしても100パーセントの「おめでとう」や「お幸せに」にはならない
      生きている
 幸せな人やおめでとうな事があった人 ごめんなさい

 幸せな人が増えて欲しいし
  幸せな人をみて よかった・・と心から思う が

  こればかりは しょうがない

 私自身のこころが「幸せ」おめでたい」「ハッピー」「心豊か」
  等の言葉を拒絶する問題を抱えているのだから・・・

  長男が自死し・・・・100パーセントの「(笑)」はない
   
  笑わないわけではない
     大声で笑う事もある

    むしろ 笑顔が多い方かもね

多くの 人は周囲に気を使い生きている

多様な面を持って生きているのが人間
   
 愛する人が亡くなり 泣き続けていても トイレにも行く
     水も飲む
 挨拶もする
     洗濯もする 
 泣くときもあれば 笑う時もある
   怒りでいっぱいの時もあれば  落ち込むときもある

「おめでとうございます」と笑顔で言いながら
    スッキリしない心を持つこともある

 演じることだってできる
    人のこころは その人にしかわからない
      その人自身も  よくわからない心もある
 それなのに
学校のいじめ問題の調査では
 いじめられても「笑っていたから」
   泣いていじめを訴えていたが「普通に給食を食べていたから」
いじめる側の子どもとも「話していたから」
    だから
 「いじめられていた事を気にしていたわけではない」
  という主張をする学校側

「いじめられている」と主張する子供は
  一日中笑うこともなく
  給食も食べず 誰とも話をしない・・・という態度でなければ いじめられていたと認めないのだろうか

どんなふうに過ごしていたら『いじめ』があったと認めるのだろうか

日本では
流行りの遺族外来やグリーフケア

「悲しみ」の病理化
  悲しみを金儲けにする人たち

 人間のあたりまえの感情すら
   病気にしてしまう人たち

   意味がわからない
元のような気持ちに戻ることは無いのが普通
   涙も出るが
      ご飯は食べている
だから生きている

 私は普通に元気に生きている
  全国飛び回っている
         
でも
「幸」という文字への抵抗心
   (自分の名前の文字なのに)

   
 「おめでとう」という言葉への抵抗心も持っている

  涙を流すほど笑う事もあるが
  立ち上がれない程
      力が抜け 涙があふれる事もある

私は今でも悲しみがある事を
逝った息子に伝えたい

  あ! 彼は見ているから・・・知っている

  涙は息子への愛
     誇りに思う   私は母として息子を今でも深く愛している
 だから
   深い悲しみもある
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