
しばらくぶりのブログ
自死遺族として生きて・・活動をして17年
多くの遺族との出会いがある
当然のように 遺族の死も知らされる
また 息子が亡くなった当時は50代だったが
今は70代
年を重ねて生きるという事は
死別も多く経験する
6人の親たちは全員亡くなった
自死の問題でお世話になった人たちも亡くなっていく
自分の番が来る日が数えられる・・そんな年齢になってきた
多くの人と出会えば多くの人との別れもある
老いるとは
別れの経験が多くなるということ
それは
人の死だったり
裏切りだったり・・・誤解だったり・・・
また 自分がこれまでできていたことが出来なくなる・・・という
自分のこれまでとの別れもある
走れたのが 走れなくなり
重い荷物が持てなくなり
張りのあった皮膚が しわしわになり
・・・・・・・・
老いを受け入れる
病院にはほとんど行かない
からだのあちらこちらに痛みはあるが
老いからの痛みがほとんど
そんなこととの別れはどうでもいい
しかし
いのちとの別れは 深く考えさせられる
ひとり一人の死から
学ぶことが多い
つながりのある
遺族の死・・・
自死もある
それを知った時は こころがざわつく
病死も多くある
救えない悔しさや悲しみはあるが 心のどこかで 納得させようとしている
1人暮らしの人が多くなっている
伴侶がなくなって一人…という人もいる
息子が亡くなってから17年
ずっと命が喪われた相談を受けているが
慣れる事はない
そんな時は
人間を超えた 存在に祈る
祈るしかない時もある
ある人の死
20年前 夫が自死
夫の実家の京都のお墓に埋葬
その妻が亡くなった
子どもはいない
その人は自分の実家とは疎遠だった
突然の死を 看取ったのは 夫の姉
しかし
遺産相続の権利は 疎遠だった実家の兄・・
埋葬も
夫とは別に・・・
彼女は不本意だと思うが・・・
もう一人の死
妻が自死
妻の遺骨は妻の実家のお墓に・・(九州)・
子どもはいない
突然死・・・誰にも看取られず
亡くなった彼の遺骨は 妻と一緒に埋葬されない(たぶん)
遺産は
彼の兄弟が受け取る・・・
人は 自分の死後の事を 思うようにできない
遺った人たちの
こころ次第
亡くなった人の想いをどこまでくみ取ることが出来るか・・・
亡くなった人の声なき声を聞き
亡き人に寄り添う気持ちがあるのかどうか・・・
そんな事を
深く考えるようになった
生きている人は なんだかんだ 言っても
自分が一番
遺った人たちが すこしでもいい
亡き人の気持ちに思いを馳せられたら
生きている人にも
やさしい気持ちが持て
自死の無い社会へとつながる
つくづく 思う
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