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悲しみからの回復はありえない

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岡先生の原稿からの抜粋
「悲しみからの回復はありえない」

なぜ「悲しみは段階を経て癒されていく」という考えに、否定的なのだろう。

「悲しみは私の身体の一部なんです」
身体の一部なら、それは無くなることはありえない。
「悲しみからの回復」という言葉がよくあるが、手や足が無くなることを「回復」とは言わないだろう。
それが「脳」であるのなら、それが無くなれば、生きていることもできない。
悲しみが「身体の一部」である
とは、それが自分にとって無くなることはありえないものだという意味。

「回復なんてありえないでしょう?」
「悲しみからの回復」を謳うグリーフケアを心底、嫌っている遺族。
その人は、たった一人の娘を自死で喪っている。
「回復があるとすれば、それは私の娘が生き返ることですよ」と。

「回復」は、文字通りとれば、元に戻ることだ。
「元気回復」とは元気が戻ること、「健康回復」とは健康が戻ることをいう。
「悲しみからの回復」とは、悲しみから立ち直ることをいうのだろうが、
そこには亡くなった人の存在が考えられていない。

「悲しみ」という気持ちの問題だけに焦点があてられている。
「悲しみ」がある
理由やその由来などは、その背景として切り離されている。
自死遺族の悲しみは、
家族を喪った悲しみであり、喪った家族と密接に結びついて
いる。
何らかの気分のような悲しみが、宙にぶらりと浮かんでいるわけではない。

つまり悲しみが、悲しみという感情だけであるわけではない。
いつも亡くなった家族と結びついている。
だからこそ「悲しみからの回復」はないし、
もしもあるとすれば、
それは亡くなった家族が黄泉(よみ)の国から生き返ることが必要なのである。
また
「悲しみは私の身体の一部なのです」という遺族の言葉は、
すなわち「亡くなった家族は、私の一部でした」という言葉を言い換えたものだろう。

「死者が生き返ることはない」という残酷な、
しかし疑うことが許されない現実から、「悲しみからの回復はありえない」という言葉が遺族から出ている。
感情についての心理学的な法則を言っているわけではない。
亡くなった人の存在と悲しみは、ひとつに結びついている。

だから「死者のよみがえりは無い」というなかで、
もし「悲しみからの回復」があるとすれば、
それは、かけがいのない死者との再びの別離を意味する。
突然の自死によって家族はかけがいのない人を喪い、遺族となった。

そして、そのかけがいのない人との関係そのものが悲しみでもあるのだから、
その悲しみからの回復とは、亡くなった人と、さらなる距離をとることになってしまう。

「悲しみからの回復はありえない」という遺族の言葉は、
望みを捨てた自暴自棄から発したものと誤解されがちだろうが、
そうではなく「愛する家族とのつながりを捨てることはありえない」という力強い声なのであり、
的外れの同情への苛立ちでもある。

それは心理療法家の助けを求める言葉などでは決してなく、愛する家族を誇りに
思い、その存在を心の中心に置いたまま、遺族として社会のなかで生きていこうとす
る決意の反映でもあるのである。
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記憶は脳に起こった科学的な変化。何も哀しみに限った事だけではなく喜びもまた自分の身体の一部だ。だから僕や貴方の身体の一部は想い出で出来ているのだ。