
仏教の事はとしを重ねたからという理由で
覚えられるものではない
83歳で同い年の妻を病気で亡くした男性から相談を受けたが
両親も亡くなり、葬儀もしているのに
檀家であるお寺さんとは
葬儀などの付き合いだけをしてきたらしい
なので
敷居が高く 住職に相談なんてできないと思っていた
という
私の実家は
祖父母たちも子供を亡くし
養父母も子供を亡くしていた
仏壇には亡き子供たちの位牌があり
地域の墓地の近くには 地蔵堂がたてられ 地蔵さんたちがたくさん祀られていた
祖母も養母も亡き子供のお地蔵さんを祀っていた
朝晩お経を唱え 家族がそれぞれ全員 仏壇に手を合わせる家で育った
昔ながらの葬儀も記憶にある
一人っ子の私は いろんな葬儀にも連れていかれた
お経は宗派が違えば、違うものだけど
なんとなく 唱えていたが
息子が逝き
般若心経の意味を説く本も買い写経もしたこともある
埋葬の手引きのような本も読んだ
お経も難しい言葉のままで 唱えている住職もいるが
現代語訳のお経で唱えるお寺もある
我が家は浄土宗
「三寶禮」というのがある
さんぽうらいと読む
・一心敬禮・十方法界常住仏(いっしん きょうらい じっぽうほうかい じょうじゅうぶ)
・一心敬禮・十方法界常住法(いっしん きょうらい じっぽうほうかい じょうじゅうほう)
・一心敬禮・十方法界常住僧(いっしん きょうらい じっぽうほうかい じょうじゅうそう)
現代語訳
・一心に敬って(いっしんにうやまって)
十方法界に常住する仏を礼したてまつる(じっぽうほうかいに じょうじゅうするほとけを らいしたてまつる)
と唱える
*「心を一つにして敬って、あらゆる世界に変わることなくまします み仏に礼拝致します」という意味。
・一心に敬って
十方法界に常住する法を礼したてまつると唱える
*「心を一つにして敬って、あらゆる世界に変わることなくまします み仏の教えに礼拝いたします」
・一心に敬って
十方法界に常住する僧を 礼したてまつると唱える
+「心を一つにして敬って。あらゆる世界に変わることなくまします み仏の教えを守る僧たちに礼拝いたします」
という意味がある。
「南無阿弥陀仏」「南無シャカ仏「南無妙法蓮華経」など「南無」が冠につく
「南無」という意味はこころから帰依するという意味
全てを委ねますという意味
簡単に言うとこんな感じで意味が分かる
お線香を焚く意味 お盆の意味
葬儀の意味
法要の意味 戒名の意味 など
たくさん 知らない事を教わった17年間だった
お坊さんになるわけではないから
深く意味を掘り下げたいとは思わないが
少なくとも 簡単な意味くらいは 覚えようと思う
息子が逝き
強く思うようになった
キリスト教の
葬儀にも参列したことが何度かあるが
厳かな儀式を体験した
天理教の葬儀にも
何度か参列したことがある
無宗教での
火葬や埋葬も増えてきていると聞く
遺族がそれで いいと思うならそれでいいのだと思う
キリスト教の教えの中に天国というものがあり
仏教ではお浄土という考えがある 浄土宗は西方極楽浄土に往生するという教え
深く信仰しているわけではないが
信じたいと思っている
信じればこその 極楽浄土
信じればこその あの世での再会
信じればこそ 見える世界
信じなければ 何もない 何も見えない
信じ切れていない自分がいるが
信じようと努力をしている
日々
亡き息子のまなざしを感じて生きているからこそ
信じようと思っている
それは
年を重ねて 高齢になったからの気持ちではなく
体験と息子を思う気もち
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