
自死の対策に遺族の声は反映されない
なぜ?
日本の遺族は声をあげている
でも
対策には反映されない
過労自死の問題も
過労死防止法ができたが
相変わらず 過労自死は減らない
いじめ防止禁止法ができたが
いじめによる自死は増えている
体罰や指導による自死も増えている
それは
自殺ビジネス団体が多く
国もそれらに頼っているからだろう・・・
ビジネスだからこそ
彼らは宣伝がうまい
マスコミが飛びつくようなネタをばらまく
例えば コロナ下のなかで 若者が!!!
女性が!!!
有名人の自死が報道されたから 若い女性の自死が!!!
大変だ!!!
と 煽る・・あおる
そして 報道された!!!と ホームページに掲載する
報道されたことが活動の一つなのだ。
報道されることが活動だと思ったことがない
私が変なのだろうか
また 遺族が支援者として 自死の問題を職業とする事は
スッキリしない
違和感を覚える
自死の問題を職業とするしか 仕事に就けないとしたら
自死遺族にならない人生なら どんな仕事をしているのだろうか
自死遺族という前に仕事があって
その仕事をしながら 自死の問題に取り組む・・・
また定年退職したら
本格的に取り組む・・・
余裕があって 仕事としてではなく純粋に 活動に取り組む
ものだというのが 私の思い
夫も遺族だが 仕事をしている
仕事をしながらサポートをしてくれている
ビジネスとしてかかわると
何かが変わる気がする
自死がゼロになってしまうと 仕事を失うことになる
貧困も同じ
貧困ビジネス団体にとって
貧困者の居ない社会は自分たちの失業につながる
だからほどよく貧困者がいて
(本音は貧困者が増えて 忙しいほどビジネスは繁盛する)
もちろん 身銭をきって 活動をしている団体もあるが
自死も貧困も
ビジネス団体は目立つ
目立つように活動しないと 寄付金も助成金も補助金も集まらない
講演にも呼ばれない
目立ったほうがいい
それがビジネスというもの
シドニーの大会でも ジャーナリストがこの問題について語っていた
何処の国でもあることらしい
人間の業・・・
自死の問題や貧困の問題は粛々と地道に
知られないように確実に活動をしながら
自死や貧困のない社会のための根本的対策を講じる必要がある
臭いものにふたではなく、臭いにおいを発している元の根絶
今の社会は
人を追い詰める構造は見てみないふりをして
追い詰められた人の支援
その支援の充実 その支援のための支援
支援者のための自死や貧困の対策に過ぎない
当事者のための支援ではない
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