愛も悲しみも いっぱい(活動の原点)

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   支援者たちは
自死遺族の悲しみは病気だと考えている
 だから遺族になって悲しくて精神薬を飲んでいても
    否定はしない
 あ・・そうね 仕方ないわね 悲しいから精神薬を飲むのは当たり前よね・・
   とすら 思っている

  飲み続けてその人たちはどうなるのか・・・なんて 彼らには関係ない
 むしろ
 いつまでも 悲しくて苦しくて精神薬を飲んで嘆き・・会に参加してくれたほうがいい
 
   だって 会の開催時間の2時間程度のお付き合いだから
   他の時間に彼らは
  相談に応じないから

    携帯電話なんて教えることもなく
       会の開催時間以外に 電話を受けることもない

   自分達が関わる時間 話を聞くだけでいいのだから

自助グループはそうはいかない
   電話やメール 時には会って・・・
  それも頻繁に・・ということもある
 自分の携帯を教え メールアドレスも教え
     住所も教え
         会の開催時間以外のほうが関りが長い場合もある

会に一度も参加しないで
    電話やメールだけの遺族もいる

 支援者はそんなことはしない

    精神薬を飲み続けている遺族は  元気にはならない人がほとんど

     波が激しく  
            絶望感が強い

   元気になってほしいから
    うるさく言うこともある

    アドバイスを聞かずに  入院する遺族もいる

    そして 私を強い!という

強いのではない

  息子を助けられなかったから
息子への懺悔で生きている
    息子へのお詫びの生き方
   私が死んで息子が生き返るなら 私は死ぬことに迷わない
しかし
私が死んでも息子は生き返らない
  そして 私が死んだら私以上に 息子を思い出し悲しみ苦しむ人はいなくなる
 息子は忘れられていく
   忘れたくない  忘れてはいけない

   それには 私が元気で生きていなくては・・と思う
    
    自分のための人生は息子が逝ったとき終わった
     あれからは 
   息子への罪滅ぼしの人生

  ひたすらに息子のため

どんなに悲しく苦しくても
 自死という死で逝った息子の苦しみには届いていない
なぜなら  私は生きているから

   自死した健一への申し訳ない気持ちが活動の原点
     健一がなぜ自死したのか・・を考えたとき

    自死の問題と向き合うことが 息子への母親としての愛

      子どもの苦しみに比べたら  私は親だから なんてことはない
  健一を今も愛しているから
     苦しみなんて  悲しみなんて
       身体中で抱えて生きてやる!
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