岡崎さんお世話になりました。

130407スミレ__11

岡崎トミ子さんのお別れ会に行ってきた

  2006年4月
息子が逝って5か月

 あらゆる機関に助けを求めた

息子の死の悲しみと 嫁や孫との絶縁の苦しみと
  殺したいほどの憎しみと
 いくら考えても  もうこの世に存在しない息子への思いとで
  なにをどうしていいのか 迷い苦しみの日々だったころ

わかちあいの会が仙台にもほしいと願い
   生きる手助けをしてほしいと願い

    県も市もどこの機関もたらいまわしをされていたころ

    市役所の職員の電話の一言

小さな声で「政治の力もお借りになってみたらいかがですか」と・・・ひとこと

でも・・と考えた
  与党では一人の悲しいおばちゃんの話しを聞くはずがない
男の議員も関心はない
 道路や建築は興味があるだろうけど・・・

やはり女性 野党の女性の国会議員

岡崎トミ子さんしか仙台にはいなかった

   さっそく仙台の事務所に連絡をした
    県知事と仙台市長に手紙を出していたのを話したら
      その内容でFAXをくださいと言われた

FAXを読み 携帯に直接電話をくださった
あなたにピッタリの市会議員がいるから・・・と

   そして市会議員と秘書と3人であった

  それまでの時間…3日だけ・・3日で実現した

そのつなげてくれた議員のおかげで 「藍の会」を立ち上げ
  ずっと支援してもらっている

    岡崎トミ子さんにはその後も、国に対しての要望書の提出や
またほかの議員さんともつないでくださったり・・・
  お世話になりました。

東京駅でバッタリ会っても  田中さん お元気にしてる・・・頑張ってね・・といつも声をかけてくれた

   あの時のあの対応がなければ
 今頃生きていたのか・・・・

  日本の自死遺族の自助グループもなかった・・・とも思う

   子供を亡くした親の会も・・ない・・・

 どうなっていたのだろう・・

 岡崎さんの対応があっって  現在活動をしている

   恩は次へ次へと 送り続けようと思っている

ご縁はつなげていくものつながるもの

     悲しいご縁だからこそ 亡き人からのご縁だからこそ

 大切に・・大事に・・・

  そう思います。
  
  合掌
  
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