自死への差別と宗教

hanakaidou[1]

    自死への差別と偏見

 自死とキリスト教

日本カトリック司教団「いのちへのまなざし」より 2001年
「神は正義の神であると同時にあわれみの神でもあります。
この世の生を終えた人々を【神がどのように裁き、どのように受け入れられるのか】、
それは私たち人間の思いをはるかに超えた神秘です。
裁きは、すべてをも通される神の手に委ねるべきです。
この世の複雑な現実と、人間の弱さを考えるとき、
私たちは自死したかたがたの上に、
神のあわれみが豊かに注がれるであろうことを信じます。
しかし残念なことに、
教会は【いのちを自ら断つことはいのちの主である神に対する大罪である】という立場から、
これまで自死者に対して、冷たく、裁き手としてふるまい、差別を助長してきました。
今その事実を認め、私たちは深く反省します。
 この反省の上に立って、
これからは、神のあわれみとそのゆるしを必要としている故人と、
慰めと励ましを必要としているその遺族のために、
心を込めて葬儀やミサや祈りをおこなうよう、教会共同体に呼び掛けていきたいと思います」
と宣言された。

また仏教では
仏さまの最高峰である阿弥陀仏は
 全ての人を救う力を得たということで「阿弥陀仏」となられた
    全ての人々をすくい取れなければ「阿弥陀仏」にはならないと誓いをたて
 48本願の全てが達成されたことで「阿弥陀仏」となられた
  本願18 は 「阿弥陀仏」の名を呼べばすくい取るとおっしゃっている
「南無」「阿弥陀仏」である

 煩悩・・・
 教えの中に「殺生」という項目があり
   その解釈を自死に広めた人たちが僧侶の中にいた・・ということのようだ
殺生は 私たち誰もが行っている
   魚を食べることも殺生
  肉を食べることも殺生  野菜も殺生

  霞と水しか摂取できなくなってしまう

生きるためには 野菜や魚果物肉様々ないのちを頂いて 生かされている
 そのことを忘れないように
「いただきます」「ごちそうさまでした」というのが日本人

   阿弥陀仏の阿弥陀仏たるゆえんは 全ての人人びとを救いとるという事にあるといっても過言ではない
「南無阿弥陀仏」なのです

   人々を脅し、不安にさせ お祓いや祈祷をし
       お金儲けをしようとした人たちを信じた庶民が
         死を穢れたものとした
  死者は祟らない
  祟りがあるなら  殺された人たちが殺した人に祟って
     殺人者は呪い殺されている
不幸になっている
  でも
  ぬくぬく 長生きしている殺人者は大勢いる

  捕まっていない人がたくさんいる

   残念ながら  亡くなった人に 呪い祟るという力はない


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