当事者の声が届かない社会




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自死遺族の会がなぜ保健所を中心に存在するのか

✤.自死遺族のための行政主催の「わかちあい」
公的機関(権力)が個人の心の領域に踏み込むのは 自死遺族を精神疾患として位置付けているから。

他の遺族のわかちあいは公的機関は開催していないことが、その証拠。
自死遺族は特殊な遺族・自死は血筋が要因であるから 自死遺族も自死の可能性が高いという認識


✤.公的機関(権力)は本来、心の領域ではなく、自死遺族等を取り巻く偏見・差別問題の解消に取り組むべきであるのだが
自死の多くは「追い込まれた末」と規定しながら、手を付ける気はない

 自殺から自死という言葉さえも 遺族が要望しても無視どころか 反論する自死遺族支援団体とその団体に事業を丸投げしている自治体がある。
「心のケア」は結果が出ない時は 遺族の責任にできる
法的支援は結果が誰の目にもあきらかにわかるから パフォーマンスではできない。

後追いをする人たちだから 危険な人たちであるという認識のわりに
1か月1回の会でおしまい
普段はかかわらない

 認識している事と 実行していることが伴わない

 全ての自死の対策と同じ

   危機感を煽り 事業の必要性を訴えて税金を確保し
実際は
   救うことなどできない パフォーマンス事業

   当事者以外の人たちは  派手なパフォーマンスと講演で満足

 ギャグのような対策が続けられている

✤全国自死遺族連絡会は偏見・差別問題に取り組んでいる。
がしかし
日本のPostvention専門家は全国自死遺族連絡会の活動を知っていながら、
昨年5月の国際会議で「日本の自死遺族は政治的な発言をしない」と発表

  自死遺族の多くが精神疾患者であって 自分達では何もできない人たち
     半年悲しみが回復しない遺族は 複雑性悲嘆という病気だから 精神科につなぐ
  という構図が崩れてしまうことを恐れているのだろう

  自死遺族も様々
  社会の縮図

    自死遺族はこんなひと!という事は決められないはず


   当事者の声を届けて11年

    ようやく少しだけ 届られる時間が短くなった

     そうすると今度は 支援者たちが
         当事者の声が大きすぎて 聞きたくもないという

     支援と支援者との 闘いの日々

    自死への差別と偏見
   更に支援との闘い

       踏まれて強くなる麦のようになるしかない   
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