お遊びと本気

20080502121947[1]

 愛する人を突然失った悲しみを
    ケアしたいと考える人は多い

   なぜ・・・?

グリーフケアという考えは海外でも反対論が根強くあるという
   
  他人の悲しみを勉強する 
  悲しい人たちを救ってあげる

   なんか 幸せに輝いているような 癒し人のような
  神様のような・・・
      崇高な支援をしているような錯覚による満足と幸福感

    他人の悲しみを学ぶって・・・ある意味ひどい行為
無神経な行為

  親しい人や祖父母の死を体験しても
   かなしい気持ちにならない人でなければ 悲しみを学ぼうと思わない
 悲しみを体験した人は 悲しみを学ばなくてもいい
   自分の悲しみだけで十分だから

  私は 幼い頃に 育ての母の親の死や
   かわいがってくれた近所のおじさんやおじいさん おばさんやおばあさんの死を体験した
     友人も級友も 亡くなった
  たくさんの知っている人たちの死を体験して生きてきた

   だから 悲しみを学ぼうなんて考えたこともない

  息子が逝き
 救いを求めて グリーフケアを学んだ
  救ってくれるのかと思ったから

   でも それは救いではなかった

 私の悲しい気持ちを 否定し 苦しめた

   自分の悲しみは 誰にもどうすることもできない
     と 悟った

   悲しみは愛しさと共に

 愛する人の死だから かなしい

  愛しているから かなしい

       愛しい(かなしい)

息子が逝き
       女であることは やめた
ひととして生きているだけ

 生きることの全てを 自死の問題にかけたいと思って生きてきた

    そういう生き方でしか  生きられない

     活動はいのち
いのちを捧げて続けてきた

   覚悟のない グリーフケアの専門家と自負する人たち

     この苦しみと悲しみが ケアできるもんならしてみてちょうだい!
         
       遺族に傷つけられた なんて いう程度では
            お遊びです グリーフケアなんて

   毎日遺族の連絡を受けて  
      毎日 苦しい人からの悩みを相談されて
          寝る時間も 削って 過ごしてきた11年

     相談者に傷つけられたなんて  ことを言うようになったら
     活動はおしまい

    そう思っている

     息子の死を考えたら  たいしたことはない なにもかも

なにをしても 満足感はない

   息子のいのちが ここにはないから

    
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント