亡き人たちを 蔑むことは人でなし

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 我が家は浄土宗
      私の実家は日蓮宗
   生んでくれた母の実家は浄土真宗
      父方は曹洞宗
  よく遊んでもらったに実家の隣は天理教の教会
 (天理教の経典もよく読んだ)
      高校時代に読み漁ったのは 聖書
   息子が逝き、読みまくったのは 仏教の本
般若心経の解読の本もいろんな人のを読んだ

    ご縁を頂いた 浄土宗のお寺さんにことばをかけてもらい
       今を生きている

宗教者も人それぞれ
    行政の人たちもそれぞれ
  仕事ではなく 肩書でもなく

    人はそれぞれ

岡知史教授の「知らされない愛について」のような 愛のある人のようになれたらと思う

   人に説く人たちは  謙虚であること・・と思う
「泥棒にも3分の道理」という言葉がある
  一人ひとり 全員  良いところもある  
      でも
人と接する 人を導く 仕事にある人は
「知らされない愛」を持てるような人に・・・と思う

   仕事や活動は 個人的感情は抜きでしなければならないと思う

     浄土宗は南無阿弥陀仏の教え
          本願を達成したからこそ阿弥陀仏となられた阿弥陀様がご本尊

        自死は浮かばれないというお坊さんがいる
             自死者の葬儀も行っているという
  自死だからこいつは浮かばれないと思いながら  「南無阿弥陀仏」と唱えているのだろうか。

  それなら 葬儀は必要ない

      無宗教になる人の気持ちが理解できる

     誤解されると困るが  私は小さい頃からそれなりに信仰心は厚いと思っている
が・・・
   自死した息子を 成仏できないと 浄土宗のお坊さんに言われたことは
           忘れられない
      我が家の菩提寺の住職は 阿弥陀様が西方極楽浄土に連れて行ってくれています
       往生していますよ・・と いつも言ってくれる

同じ 浄土宗でも 人によって 自死への差別発言がある
     
    曹洞宗も それぞれ  本当に人は様々

      心ある人もいれば 心ない人もいる

   グリーフケアや宗教…警察・保健師・・・様々な職業の人たちに意見を言う私ですが
    個人攻撃はしない
     仕事等の専門家としての発言には厳しくいう
        
     日本の自死への差別的問題の根っこにあるのは宗教的絡みがあるといわれている

   自死は穢れている
     おぞましい  祟りがある  お化けになる
    浮かばれない  成仏できない
          気味が悪い  等々

   それらの言葉の底にあるのは  ・・・

      あの世に行けない 気味の悪い死 

    葬儀は何のために・・・戒名は何のために  お念仏は何のために

     お坊さんが 気味が悪い ・・・成仏できないといったら  葬儀はしないほうがいい
         
     法を説くことばも 偽善に聞こえてしまう

      こころは見えない
  だから言葉は大切

   12月は法話を聞く会に3回参加する
      法話を説くお坊さんの心は見えないのですから
     ことばでは 本願を説いてほしい
阿弥陀様の教えを言葉にしてほしい  
そしてせめて 遺族のいる場所では 自死は成仏できないといわないでほしい
        遺族のいないところで 亡き人たちを批判してもいいですから・・
亡き人たちは 極楽浄土にいますので 
     生きている人たちの暴言も蔑みも 許してくれますよ・・・
         自死者が成仏していないという皆さん。
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