悲しみは愛しさと共に




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「悲しみは愛しさと共に」          
悲しみも様々・・・私の悲しみは息子を突然自死で喪ったこと。
息子を亡くした「悲しみ」には回復がないこと、消えないこと、
年々深くなる悲しみがあることをどのような言葉で表現したら、
周りの人たちや遺族にも伝えることが出来るのか悩み抜いた年月があります。
長男を34歳で亡くして、11年。
今でも毎日涙が溢れ、胸が痛くなる悲しみは変わらずわたしの中にあります。
「悲しみは愛しさと共に」(岡知史)
 いつも無口な一人娘を亡くしたお父さんが
「悲しみもまた私のもの」(岡知史)というエッセイを読んで一言「胸の痞えがストンと落ちた」と。
「私の悲しみは私のもの、誰のものでもない私の宝物」という遺族。
「時々愛おしく宝石箱から取り出してみる悲しみ、」
「あなたのこと、1日として忘れたことはありません」
「いいんだ、何年たっても悲しみがあっていいんだ」・・・って思える
「悲しみは愛しさと共に」

普通に幸せに生きてきた人が突然に自死遺族になったとき、「悲嘆について」「自死遺族の悲嘆とは」「悲嘆回復」「グリーフケア」「遺族の心理」「自死について」「うつ病とは」「スピリチュアルカウンセリング」等々の内容の本に救いを求める人が多いのですが、それらの本には、悲嘆はそれぞれではあるが、徐々に回復していくものとして書かれてあり、回復しない悲しみは病気である,と記しています。「私は本に書いているように回復していない、異常なのだろうか」と思う遺族もいます。


私自身も、そんなひとりでした、誰一人、悲しみが、愛とイコールだと示してくれることはなく、自分の気持ちと一致せず苦しみました。
深い悲しみがあるのは、それだけ深く愛しているから・・・だという言葉と出会うまで、苛立ちと憤りの中で焦ってさえいました。悲しみは取り除くべきもの、生きて行く上で幸せになるためには邪魔者のような存在という考え方としてグリーフケアがあります。
悲しみを肯定してくれる言葉「悲しみは愛しさと共に」「悲しみもまた私のもの」何十年たっても悲しみがあってもいいのではないか


、なぜなら愛しているから悲しい、愛からの回復はないから。「悲しみは愛しているから・・・」「癒されない悲しみもある」



こんな、単純で明快な言葉で遺族の悲しみを表現してくれたのは岡先生だけでした。






世間も遺族も心のケアという一見心地良い言葉に惑わされて、心の底にしっくりこなくても、回復したと思うように努力していた遺族が多かったのではないでしょうか。
世間から病的な悲しみだと思われないように、無理して周囲にあわせて、陰では泣いて生きてきた遺族たち。


「こころのケア」の専門家と自負するひとたちも、こんなやさしさ溢れる言葉で、悲しみを想像したことはないでしょう。



「死別の悲嘆からの回復」半年たっても、まだ深い悲しみにいる自死遺族は、精神的な病であり、訓練を受けた支援者が話を聞き、悲しみを整理するように導き、気持ちが安定することが重要であると、支援者団体の支援者の手引書には示してあります。今もそんな考えが支援者には浸透しているようです。



しかし、どんなことをしても、愛する家族の死を忘れることはできない。
忘れようとも思わない。
息子を亡くした母である私にとってそれは、わが子がこの世に存在したことの否定につながります。
親がわが子の存在を忘れることなど絶対にありえないこと。
なぜ、忘れなければならないのかという思いで、
自死遺族支援、グリーフケアという絶対的正義の「心のケア」との闘いを続けてきました。
自死とは、自死遺族とは、家族を亡くした悲しみとは、
そしてその支援について語るとき
、「当事者不在の自死遺族支援を見直してください」
「当事者で無い方々が自死遺族の思いを正確に代弁することは難しいと、考えてます」
「遺族の声を聞いてください」と何度も訴えてきました。
しかし自死遺族当事者の声は届きませんでした。
「心のケア」だけが強調され、自死遺族は「悲しい人・精神的に混乱している人・すぐに傷つき、PTSDやパニック障害等を持つひと」それが自死遺族だという認識が蔓延していたのです。半年で悲嘆が回復しない遺族は「複雑性悲嘆」という病気であるとか、最近では2週間で「悲しみの回復」が出来ない人は「うつ病」であると米国精神医学会の診断基準が発表されたりしています。



遺族は「悲しみを抱えた人」ですが、普通に生活しています。ただ、「自死」という死を、「病死」「事故死」と偽って暮らしている遺族が多いこともあり、自死遺族は、「自死ということを話す場所」がない、どうして、本当のことを言わないの?と聞くと、「悪いことをした、迷惑をかけたから」と。「誰に?」というと「世間に!」といいます。
まだまだ、普通に自死を語れる社会にはなっていません。
だからこそ、当事者本人だけでの「集い」が必要なのですが・・
自死への偏見と差別が、遺族を語りにくくし、
語れないことを逆手にとって遺族は何にもできない人という更なる差別が生まれ
「自助グループ本人の会」の立ち上げに反対をする自死遺族支援担当者もいます。

自死遺族の中には悲しんでいる時間すら与えられない人もいます。
自死という死だから発生する、賃貸物件への賠償金、大家への慰謝料、
いじめや労災問題、パワハラ等の提訴、そして借金の整理など、
亡くなったその日から現実が目の前に立ちふさがりますが、
具体的解決のための支援はほとんどありません。




「こころ」「悲しみ」の直接的な支援はできないことをご理解していただき、「具体的問題」解決の支援の構築をしてくださることを願っています
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