語れない死・・知られたくない死・・自死

2302[1]

自助グループは自死遺族だからこそ必要だと思っている

 自死ということを語れない人たち
 
    自分が自死遺族だという事を周りに知られたくない
       家族にも知らせない人も多い

   病死や事故死と伝えている場合が多い

      でも「うそ」は時としてしんどい

なぜ?どうして?という思いがあるから 
  一人で抱え、誰にもいわないということは 大変なこと

孤独感に苛まれることも多い

    死んだからしょうがない・・と 割り切れたら楽なのかもしれない
 が多くの遺族は自責の念が深くなる

    誰にも話さずひたすら耐えて耐えて・・・我慢すると
      感情が爆発することもある

    何も言わず 笑顔でうそをつきながら 生きることは 難しい

    人間は  おもいっきり グチることも必要
       想いのままに 話すことも必要
泣くことも含めて 弱さや苦しさやかなしさやさみしさを
     隠さない時間も必要

ウソで隠して生きて行ける人は
  それはそれで  すごいこと  

   家族の自死と向き合うと つぶれてしまうから
        ごまかして みてみないふりをして生きる・・という人もいる

   生き方はそれぞれでいいと思う

でも 話したいと思う遺族がいて
   他者には知られたくないという遺族がいた 同じ遺族同士の集いは必要である

  いじめられて亡くなった子供が通う学校が
  市立や県立だったら

 市が主催する会に参加できない 県も同じである

     学校の批判はできない

保健師は市役所や県庁の職員だから・・・

    裁判になったら 敵である

また 保健師がご近所の人の場合もある
   ボランティアも同じ

ボランティア団体の主催する会に参加したら
亡くなった子供の親友のお母さんがスタッフでいた・・ということもある

遺族同士なら お互いさま
    自死遺族だから・・・
知られても お互いさま

  それでも こんな人もいる

 ○○さんという人が自死遺族だけど
  自分が自死遺族になったことは その○○さんに知られたくない
  どこどこの  ○○さんという人は会に参加していますか?という問い合わせもある

     それほどの知られたくない家族の自死
   そんな遺族が多いからこそ
    自助グループが必要なのです

  知られてもいいという人は 支援者がいる会に参加できる
 が 知られたくないという遺族は 自助グループ以外の会の参加は難しい

    支援者たちなら知られてもいいという特別な他者にはならない

   遺族に私の氏名や住所を知らせても
自分の 住んでいる地名を知られたくないとか
  本名を知られたくないと思っている遺族もいる

一方的に手紙やメールやFAXが届くことも多い
 こちらからの返事は望んでいない

   ましてや     支援者は自分の事情も連絡先も教えない
      支援者が自分の個人情報は知らせず 遺族の個人情報を知ろうとするなんて無理です

    
    自助グループが広がってほしいと願っている

      安心して語れる場所が 必要

 1回だけでもいい 参加したいときに参加できる会があったら・・と思う

   自死という事が 普通に語れるようになったら
    自助グループは 必要ではなくなるのかもしれない

    今の日本は まだ語れない
  差別と偏見が蔓延している
      
      いじめとパワハラ・・言葉の暴力

    陰湿に静かに 暴言を吐く

       無知であることが 輪をかけて差別と偏見を助長する

例えば

仏経

   人は亡くなって 成仏するのではない
    往生するのである
 こんなことも  ほとんどの人は知らない

  自死だから成仏できない・・・ではなく
   亡くなった人は全員成仏していないのです

往生を遂げているだけ・・・

    死んですぐに仏に成ることはないのです

    間違いだらけの世間の知識

  亡き人を侮蔑するような事は 天に向かって唾を吐くようなもの
     亡き人を大切に思う心を持つことができたら
     生きている人にも優しい社会になると信じています

  自助グループが必要とされない社会こそ
   自死のない社会になるはずです
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