死にたいという言葉

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死にたい気持ちに寄り添って
 という標語があります
 支援者たちはよく使います

  大嫌いな言葉です

差別用語だと思っています

   死にたいという気持ちを持つ特殊な人

死にたい人なんて 変だよね・・・
  死にたくないのが普通なのに 死にたいなんて 意味わかんない
   死にたくて死んでるんだよね
   死にたいんだもの・・・
 そんな意味合いをもつ言葉

   死にたいという言葉をよく使い日本人
       もうやだやだ 死んだほうがまし
         死んだほうが楽
  生きてるほうがしんどい
      生きてる方が地獄

    じゃぁ なんで地獄で生きてるの?
      死んだほうがましなら なんで死なないで生きてるの?
  楽なほうがいいよね 誰でも
    死んだほうが楽だけど
   頑張って死なないで生きてる私ってすごいでしょ
   とでもいいたいのかな・・・

   死んだほうが楽なら 人類は滅びてるよ昔々に・・・

    人間は誰でも苦労はしたくない
  楽して幸せに生きたいと思う
     
 死んだほうが楽という言葉は 自死した人を蔑んでいる
   楽な方に逃げたって・・・
  死んだほうが楽なら 死んだらいい

      死ぬほどの苦しみは 生きている私たちにはわからない
 どんなに苦しいと思っても 生きているから

   ご飯も食べてる
 お風呂にも入る
    寝る・・・しかも布団にくるまって

 朝から晩まで24時間一秒の休みもなく 苦しんでいたら人間は生きられない

    生きているということは 苦しみの休憩 苦しみのシャットアウトができている

    ご飯を食べるという行為は 死ぬほど苦しいのだろうか
        お風呂に入る行為は 死んだほうがましなのだろうか

いいかげんで
適当に  死んだほうがましという言葉を使う人が多い

  死んだほうが楽なら病気になっても病院に行かないほうがいい
     でもそんな人に限って 病院に行く
 
  息子は死にたくなかった
  息子は死にたくない人だった
  死ぬのが怖いとよく言っていた
   死にたくないから 病院にもいった 薬も飲んだ

  死にたいなら 病院にもいかない
      薬も飲まずに 即死んだと思う
迷い
泣いて泣いて泣いて 死んだ

 あんなにも死にたくない 死ぬのが怖いと言っていた息子が死んだということは
      どれほどの苦しみだったのかと思う
それとも
精神薬で 死への恐怖心はなくされていたのだろうか

  死への恐怖心があることが 人類が生き続けてきた理由だと思う

その恐怖心をなくしてしまうのが精神薬
   抗不安薬 

 不安を取り除くということは
  思考の停止と低下を招く
            
  自死者の多くは精神薬を処方されている
  抗不安薬処方

     死にたいから死ぬのではない

   自死した人たちは特殊な人たちではありません

  死にたくないという普通の気持ちの人間が自死に至ると思わない人たちに
  自死の予防ができるわけがない

 死にたい気持ちに寄り添う支援
    なんとなく 気持ち悪い     
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田中様
はじめまして。私も今年1月末に大切な息子を自死で亡くしてしまった母親です。。国立大学3回生でした。。大学に入りちょっとした人間関係のもつれから少し通学が不安になったと息子が下宿から電話してきて、精神科に通院しその1ヶ月後に夜中発作で精神病院に運ばれ。。その時迎えに行った時に見た息子は。。その電話があった一週間前に友人と元気に一か月も行った北海道旅行から沢山の土産を持ってイキイキと実家に戻ってきたかわいい息子の面影は何一つなく。。たった一か月で見るからに精神疾患を抱える患者に変貌してしまっていました。。たった2種類の薬がその1ヶ月で8種類に、そしてその半年ちょっと後には20数種類、一日50錠以上もの薬漬けになっていたのです。。薬によりうつから躁鬱に変貌させられ下宿にいた時に大した金額ではありませんでしたが借金を重ねていたことが、運悪く去年減薬のために入院し今年正月明けに退院したところにその督促が次々来てしまい、躁鬱だったことも借金のことも何も知らなかった私が電話できつく叱ってしまったために、息子は正常な判断ができなくなりそのまま飛び降りこの世を去ってしまいました。。当時は病気の詳細のことも薬のことも何も知らず叱った私のせいだと自分を責め泣き暮らしていましたが、その後沢山の薬害被害者の方から息子さんも間違いなく薬害被害で命を落とされたのですと教えて頂きました。薬害だなんて。。その言葉すらうっすらと頭のどこかにある程度でなんの知識もありませんでした。。悔しいです。。ただただ夢も希望もたくさんあった息子が、精神科につながったことであんなに廃人のようになるまで向精神薬に依存し。。二度とこの世で息子に会えないことが悲しくてなりません。。いくら泣きわめいても息子はもう戻ってきませんが、せめて一人でも多くの方に私も息子のことを知ってもらい、向精神薬の怖さやあまりに安易に処方をしまくる精神科医たちへの怒りを声に出して伝えたいと思います。田中さんのご活動も息子が亡くなった後、YouTubeなどから拝見していました。私にも出来ることがありましたらぜひ参加したり賛同して、被害者が少しでも減るよう、0になるように力になれればと思います。これが安心安全と言われる日本の医療だったのかと愕然としています。。

田中さん、私は夫を自死で亡くしました。御茶ノ水にある自死遺族の会に初めて参加しました。

その分かち合いが酷いもので、80歳の男性スタッフー(ほかのスタッフの人が言っていました)ーが遺族のつらさを分析して喋りまくるだけでした。
その男性が「自死していった人は、自分で死ぬ決断をしたからむしろうらやましい」駐車している時に子供を轢いて殺した親や津波で抱いた子供を手放した親より「自ら死を選んだ人」の遺族ほうがまし、うらやましい話だ、というのです。
 
みな凍り付いてしまいました。

女性のスタッフがたまりかねて止めに入りましたが、主張を曲げず、ある医師の本をあげ「みずから命を捨て、死を選ぶのはすがすがしく素晴らしい」と重ねて言い続けました。止めに入ったその女性スタッフと80歳の男性が口論のようになりました。

気持ちを逆なでされました。

女性スタッフがため息をつきながら、泣きそうになって反論していましたが、あんな人が自死遺族の会をやっていていいのでしょうか?

その会はスタッフがやたら多く、参加者はわずかで、その男性スタッフばかりが演説をしていました。

やたらとルーツが多く、そのくせ、その男性の言っていることや意見に感心したふりをしないといけないようでした。自死遺族の分かち合いというのはあんなものなのでしょうか。

その会は歴史も古く、精神科医にすすめられていったのでしたが、心も体もざっくざく切り裂かれたような気持です。