悲しみの体験のない人たち・・・って




20090203205323[1]
ある教授のお話

ボランティアを募集すると「心のケア」をしたい人たちが殺到

実際に車いすを押したり、掃除を手伝ったりという学生は少ない




グリーフケアの講座も「癒したい」人たちが殺到する

大学にはドル箱の講座 




愛する家族を亡くした悲しみを癒やそうなんて傲慢な行為

かなしいという気持ちは、亡くなった人を愛しているからこその感情。癒したい人に聞きたい「私の息子が亡くなった時悲しかったですか?」「毎日死亡記事が掲載されますが胸が張り裂けそうな悲しみがありますか?」ないですよね

ないのがふつうです

亡くなった人と会ったこともないし、またあなたと亡くなった人の間に愛がないからです。悲しくなくて当然です

かなしみは愛するがゆえに生ずる感情です

悲しみを癒やす・・・悲しみの軽減でしょうか

それは愛の軽減です

例えば私へのグリーフケアという行為は、私が息子を愛している感情の軽減をすることです。なぜ他人に私と息子の間にある愛を邪魔者のように軽減されなければならないのですか。

大きなお世話です。

人間は愛する人が亡くなったら悲しみます。月日と共に消えて行きません。愛が消えないように哀しみも消えないのです。

ただ泣き叫ぶ様相は少なくなります

泣き叫ばないから悲しみが消えたと思うのは愚かなこと

かなしい悲しいと言わなくなったから悲しみが消えたなんて思うのでしょうか

 なんて浅い感性でしょう

 アメリカ人のように日本人は感情を大げさに表しません

 かなしみは愛すること
   愛するがゆえに沸き起こる感情

なぜ 悲しみを味わったことのない人は
    悲しみを味わった人を憐れむのでしょうか
        かわいそうなひと・・という目でみるのでしょうか

かわいそうな人だから 救って差し上げたいという行為がグリーフケア

    グリーフケアを悲しい人たちに勧める人たちって
         自分の幸せに満足していないのでしょうねきっと

   悲しみを抱えた人を見て  じぶんの幸せを確認したいのでしょうか

   何も学ばなくても 一度の体験で 教授よりも悲しみの専門家になれます
  自分の悲しみの専門家は自分ですから


    悲しみなんて学ばなくても  親が死んだり 祖父母が死んだり
     兄弟や伴侶・・子供が死ぬことも・・・
また自分が死に直面することもありますから

     グリーフケアを学ぶ人は  親の死を悲しまない人たち
       祖父母の死を体験しても悲しくなかった人たちなのでしょうか

      それは愛に鈍感な人たちです

他人の悲しみよりも  自分の祖父母の死を体験できますよ
       普通に
順番に・・・逝きますから 
誰も死者を出さない家はないのですから

   父母・・叔母叔父・いとこ・姪・甥・友人知人
    兄弟・・・人は生きていたら 必ず近しい人の死を体験するはず

 それなのに なぜ 他人の死別の悲しみに興味があるのでしょうか

     自分の身近な人の死を悲しみ感性を持ってください

    
    深く自分を見つめたら  権威とかに惑わされません
  グリーフケアに権威を感じるのは
   日本人だけですけど・・・

  まず 他人の悲しみのケアよりも  身近に亡くなった人がいることを確認してみてください
   祖父母が死んだとき どんな気持ちでしたか?

   誰も死んでいませんか?

私たちは

 血族の誰かが死んで  命を引き継いで生きているのです

   お釈迦様の教えにもあります
  誰も死んだことのない家はないんです

   自分の身近な悲しみには鈍感で
     他人の悲しみを癒やすことに心を躍らせている人たち

  視点を 天に変えて想像してみてください

  空から  自分の行為を見ている自分

     愛する人を亡くしてかなしんでいる人の悲しみをケアしようとしている自分

    そばで家族が苦しんでいることにも気が付かず








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