ゆるやかにつながれる活動

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書くことをためらっていたことがある
 やっぱり自死遺族は・・・と言われたくないから。
でも書くことにした
 それは自死遺族だから起こることではなく、人間だから起きる行為

 個人的な感情の好き嫌いで 遺族の会へ参加している遺族を批判すること

 人間は好きときらいはある
   嫌いな人と一緒にいたくないのはわかる
  しかし 自分の好きときらいで 参加する遺族を排除することはいかがなものかと思う
     人の悪口をいうのもどうかと思う

仲良し同士で 言ったらいい

  私が嫌いな人を排除しないと私は参加しないという人もいる
      その時その人の言うとおりにその人が嫌いな人を排除したらどうなるでしょうか
   次に その人のことが嫌いな人がその人を排除してほしいといったら
      その人のことも排除・・・することになるのですが
   最初に排除をしないと参加しないという人は
  自分が排除の対象になることもあるということを想像していない
  誰からも好かれるはず・・とでも思っているのでしょうか
      あの人が嫌い この人が嫌い
   そんな感情をあらわにして 活動はできません
       くる人拒まず 去る人追わず

    できる限り 誰にでも公平に・・・
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     個人的な集まり・・・公的な集まり
 公的な集いは一定のルールはある
    ルール以外に運営側の個人の好き嫌いの理由では 参加の拒否はしない
 たとえば 自死遺族の集い
  オープンな集い(参加資格を厳選し、選別しない・参加したい人は自由に参加できる)
     あの人のことが好きではないから排除する 悪口を言う
      そんなことは 運営側はしてはいけない
あくまでも公平に 自死遺族なら誰でも参加できますよ・・・ただしルールを守ってくださいね・・という会
 この人は好きだけどあの人は嫌い・・という会があるとしたら「仲良し会」
    仲良し会は仲良し会であって 公的な集いではない
  クローズな会である
 社会に開かれていないことになる
     よくある行政の自死遺族の集いと同じ
自死遺族への面談が行われている
  会に参加できるかどうかを面談で決められる
 参加したくても お許しがなければ参加できない
     参加したいために 運営者に嫌われないように 気を使い参加するなんて
           誰のための会でしょうか
 運営者のための会であって…参加する遺族のための会ではない

 個人的な感情と会の運営は違うはず

   個人的感情は表さないことが運営者側のルール

 感情を表さないのではなく 個人として参加してくれる人を好き嫌いと感情で見てはいけないということです

    主催者に好かれるようにしている会・・それは個人の会「仲良し会」
      一般公開して参加を促すものではない

行政主催の自死遺族の集いで 面談があることも解せない

また 行政が 自死遺族の支援団体への支援はするのに
            自死遺族の自助グループへの支援を拒否するのも解せない

   行政は公平に・・・が基本

     行政は支援団体は好きだけど自助グループは嫌いだから
      支援はしたくない・・・ということはあってはならないことです

   そして
        地元の自死遺族の団体が住んでいる県や市の対策会議への参画を求めたとき
           県外の自死遺族団体が入っているからという理由で断ることはあってはならない

   県や市の対策会議は 県内に人材がいない場合はともかく
   県内に参画を求めている活動団体があるなら 地元の団体が優先である

     県内の自死の問題は県内の人材で対策をすることが基本ではないでしょうか
 県内の自死遺族の声を無視して排除して  
   県外の人を委員に任命することはいかがなものかと思います

  それは ただ単に 好き嫌いでの判断だとしか思えません

       公的な集いや公的な機関の委員・・・好き嫌いで判断してはいけません

       遺族同士も その居場所に嫌いな人がいて顔を会わせたくもないとしたら
           自分がその場に行かなければいいだけ
 
     その人が嫌だけど  他の人たちと会いたいから参加しようと思うのもじぶん

  
  個人の自分と 公的立場の自分
       思考や言動は分けなければ・・・と思います
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