全国自死遺族連絡会の活動の一つ

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「藍の会」も「全国自死遺族連絡会」もやる気満々で立ち上げたわけではない

2005年当時は 遺族の会はほとんどなく

  遺族と会いたいと思い 遠くの県外の会に参加しても遺族よりも支援者が多く
    「悲しい話」を期待されている雰囲気に傷ついたりした
 お菓子も用意されているが
   会が終わった後に箱に入れ~二度目にまたその箱から出していたのを見て
      気になって、賞味期限を見たら 期限が切れたお菓子が入っていたり
       後ろで「勉強に来ました」という人たちが 泣いている私たちを見ていたり・・・
   メモを取っていたこともあり 会が終わってから遺族だけでレストランでお茶会をしたのですが
      気兼ねなく自由に話せて 親近感も湧き、力をもらえました

 100万都市である仙台市になぜ遺族だけの会がないのか・・・と
   仙台市や宮城県 いのちの電話や仙台市立病院(ネットに遺族の会を立ち上げるという事が載っていた)に電話で尋ねたり
    お願いをしたり 知事や市長に手紙を書いたり
   自死やうつ病というシンポジュウムや故宴会に参加しては
   質問し、お願いをした・・・
しかし
どこも・・だれも・・・応えてはくれなかった
 息子の死後精神薬を飲むようになり  未遂を二度していた私はこのままでは生きられないと思っていた
    あることがきっかけで議員と連絡を取り
    議員と話し合うことができ「遺族に会いたいなら自分で立ち上げなさい、全面協力するから 」と言ってくれた言葉で
      そうだ・・・
    自分でやるしかない
  と決意
    一人で立ち上げたのが「藍の会」
会場の確保もチラシも広報もすべて一人
      広報には力を入れた
 テレビと新聞社には手紙を書き取材の依頼をした
   顔も名前も連絡先も事情も全部公開
      日本で初めてということで 話題になり 全国放送もされた
とにかく 遺族に会いたかった
  その後 国の対策に声を反映させるには   全国組織が必要だと思い
(藍の会では 相手にされなかった・・
  はい・ハイ・とは聞くが、聞くだけ・・相手にされていないことは身に染みた)
 「全国自死遺族連絡会」をたちあげ
     国に対して要望書の提出を行ってきた
それまで
賃貸物件の問題など誰も関心もなく気が付いた人もいなかった・・・
  それを社会問題化したのは「全国自死遺族連絡会」である
    いまでこそ
 いかにも以前から問題意識をもって相談にのっています・・みたいな団体が増えていますが
   この問題を表に出したのは 自分の体験を話して取材に協力してくれた遺族たちと
   全国自死遺族連絡会です
内閣府・厚労省・文科省・国交省・警察庁・法務省・国税庁と
 毎年 国会議員同席での要望書の提出と会合を持ち話し合いを続けてきたのです
      そのことを受けて 故平山先生が協力してくださり
        今の自死遺族等権利保護研究会の発足につながったのです

    遺族の支援は「総合支援」が必要だということも全国自死遺族連絡会が訴え続けてきたものです

     遺族の差別的取り扱い問題への関心が広まってきていますが
       この運動を散々批判した団体までが
          いかにも以前からこの問題に取り組んでいます的な発言をしていることに
                情けない気がします
     
    必死の思いで 取材を受けてくれた遺族がいることを 忘れてはならないと思います
 
    新聞やテレビは当事者本人の言葉でつたえることでインパクトがうまれます
        代弁では薄くなってしまうのです
       本当に仙台のある遺族にはご協力頂きました
          10年かけて やっと表に出された差別問題です

     コツコツやっていたころは誰も相手にもしなかった問題が
         注目され始めると
 私も・・私たちも・・・と 群がってくる
       なんだろうなぁ~~~

    まぁ・・いいけどね
 本当に 取り組んで解決してくれるなら・・・
      
       なにをしたいのかな・・・



   私は明確に目的がある
 その目的のために 日々 活動し 相談を受けている

    能力が追い付かないけど 続けている

 必ず 達成できると信じて・・・        
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