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ふっと思うこと

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 血のつながる両親は離婚
   まだ生まれたばかりの私・・・
親戚中たらいまわしになり、子供を亡くした他人のところに養女に。
 農家だったが女の子を亡くしていた養父母は男ではなく女の子を養子にした
  朝から晩まで働き、働き、働いていた養父母
 昔の農家はみんな朝早くから夜中まで働いていた
   子供が病気でも病院にも連れて行かず・・・
       だからたくさんの子供が亡くなった
 養父母は 
   自分の子供を亡くし 母方の親戚からの養女も亡くし
     もう一人、父方の親戚からもらった子供は
 1年育てたら本当の親が返してほしいというので親の元に返したら、その後すぐに死亡

  育てた子供を3人亡くした
     
      その後悔からか・・・私をとにかく大切に育ててくれた
      
しかし よく私のことで 祖父ともめていた
    農家なのになぜ男の子をもらわなかったんだ・・と

    働いても働いても  ののしられる毎日
祖父は酒癖が悪く 飲むと父を罵声し、たたいていた
     取っ組み合いのけんかも珍しくなく 日常茶飯事

 ある日 母は夜中に私を起こして 家出した
   トロッコ線路の跡を歩き・・十三湖という湖に行こうとしていた
 {あ!湖に飛び込むんだ」、幼い私にも伝わった
   大きな声で泣いた・・死ぬのは嫌だ!~~~と
      今でも鮮明に光景が浮かぶ

    それからも 祖父の酒癖は治ることはなく
        罵声とののしりが続いていた・・・
          中学のある夜 いつものように祖父に両親がののしられていた
   母が突然 納屋に走り
      父が追いかけた   農薬を飲んだ母
          それを追いかけて  すぐにのどに手を入れて 生卵を流し込み
          吐かせていた父
   農薬の強烈な匂いが今も思い出す
    母はのどと胃が焼けただれ 長く入院した

      その後、祖父は70歳を過ぎ、衰え・・・酒も飲まなくなり
         75歳で亡くなった

  母は やさしい人
       地域や親せきの人たちに 金も貸して 返してもらわず
    それを気にすることもなく
        「いいんだよ  困っているんだから」と・・・
    
  子供だった私は 事情を深く理解していない
     しかし
   いろんな思いが交差する

         家族ってなんだろうなぁ~~~と思う

     私は養父母を最も尊敬している

     やさしい人たちでした
                    祖母もやさしい人でした
    祖父も私にはやさしい人でした

      世の中は理不尽なことが多い
                      
     今、理不尽なことを少しでも是正したいと活動をしている
        やさしい人たちにとって 生きていたいと思える社会になってほしいと思う
     不平不満を陰で言うだけでは社会は変わらない
           大海の一滴であっても  多くの人たちが大海の一滴になったら
             さざ波は起こる
   何もしないでいるよりは
        理不尽に憤る気持ちを なにかに表せたら
              大海の一滴が 社会を変える
     そう信じています

   亡き息子への懺悔・・・の人生を生きています         
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