所詮、生臭い人間の考え(グリーフケア)

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 昨夜は 眠ることができなくて 3時過ぎまで起きていた
   寝れないときは起きることにしている

 息子が逝くまでは
  (親戚・近所・友人・祖父母、実母・・・叔母や叔父・・・たくさんの死を経験した)が
自分が死ぬことの恐怖心は人一倍強く、小学生のころから「死後」のことを考えて、怖くて怖くてたまらなかった
 無になるのが怖かった  この世から消えることが怖かった
   死から逃れられない現実に おびえていた
どうして人間は死ぬのだろうと 幼い頃から考え とらわれていた

2005年に健一が死んでから 死は恐怖ではなくなった
 自ら死のうとは思っていないが 死は怖くない
自分の命よりも大切な息子の死は 死への恐怖心さえも消した

 息子の死を思ったら 何にも怖くない

 私の悲しみを ケアしてあげたいという人がいた
  香港での岡先生の悲しみ学会での発表後に
      「田中さんは、きちんとしたグリーフケアを受けていないから 悲しみは愛だとか、悲しみと共に生きて行くなんて考えるんですから、私がケアをしてあげますから」といったグリーフケアを生業としている人がいる
  たくさんグリーフケアの本も読みました。グリーフケアを広めていた教授とも親しくしていました
    ワークシートもあります。
でも しっくりとしなかったのです
  心が納得しませんでした。
国の自死遺族支援担当者からも 散々言われました
 でも 納得できなかったのです
この悲しみが消えるなんて・・・・とんでもないことなのです・許されないことなのです

 あまりにも悲しくて苦しくて 食べられない(食べたくない)寝られない(寝たくない)
   記憶を消したい!と思ったこともありました
がしかし そう思う自分が許せませんでした。
 息子を忘れるなんて そんな残酷な事ができるわけがありません
  息子を忘れられない限り  息子の死は悲しいのです
     いつまでも 忘れられない息子
       いつまでも悲しい気持ちとともに 息子を思い生きています
 息子への悲しみは 私の息子への愛です
   私が生きている限り ずっと続きます  薄らぐことなく・・・ずっと

私の悲しみのケアって  私の悲しみをどうするのでしょうか
 その人と亡き人の間にある「かなしみ」を 他者がどうやって・・何をケアするのでしょうか
  息子を愛している限り続く悲しみをどうしようというのでしょう
そして
 私はその人に頼んでいないし、頼もうとも思っていない
   この悲しみを なんとかしようとは思っていない
ケアしてほしいとも思っていない
 悲しみを軽くしてほしいとも思っていない
     悲しみを浅くしてほしいなんて 絶対に思わない
 私の息子への愛が軽くなるわけがない
    私がどのように息子を愛し、苦しみ悲しみと共に生きようが 誰にも何も言われることはない

  愛する大切な人の死
     その悲しみをケアしようなんて思う人たちは 何て傲慢なのでしょう
  癒したいなんて なんて傲慢な考えでしょう
  それほど 立派ですかご自身は・・・
 ご自身の姿を 鏡に映したことがありますか?
    亡くなった人は見ています
  その人の心の・・すべてを  見透かされています亡き人に・・・
    
   私の悲しみは  誰のものでもなく 私のもの
      
アメリカでも異論のあるグリーフケア
    シスターや神父が  仕える神様ではなく 人間が考えたワークで人の悲しみを癒やすなんて・・・
      宗教者がご自身が仕える仏様や神様に対して  ゆるぎない絶大なる信仰心があるなら
         グリーフケアではなく  御教えを伝えて 救われる道を説くでしょう
 グリーフケアやスピリチュアルケアを宗教者が信じ、
     神様の御教えよりも 仏様の御教えよりも 人びとを救えると思っている姿は滑稽だ
       宗教者という肩書は外したらいいと思う
 
知識として学ぶ姿勢は素晴らしいと思うが  自分はどんな仕事をして誰に仕えて 何をするべき人なのか・・・
     道幅は広げればいいというものではない
 二兎を追う者は一兎をも得ず
    人品人柄を深めるために学ぶことは大切だが
      自分が神様や仏様の領域に踏み込んではいけない
所詮 人間ですから・・・
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