悲しみとの付き合い

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息子が逝き 10年が過ぎた

 34歳 生きていたら 44歳 今年の9月で45歳

いつも 健一の年を数えている

 次男と3人でご飯を食べていて・・・思う
なんでいないのか・・・と
 生きていたら 美味しいとニコニコしながら食べていただろうと・・

子供が自死した親の悲しみは 誰にもどうすることもできない
  自分が抱えていくしかない
押し潰れそうに重い悲しみであろうと 抱えて生きるしかない

底なし沼のように  深い深い悲しみであろうと 抱えるしかない

  体験したことのない人には 絶対にわからない

本に書いてある悲しみの表現は 甘い
   言葉では表現できない悲しみがある

人間が考えた言葉や文字なんて 感情の表現には 少なすぎる

   今でも 突然 深く苦しい悲しみが襲ってくる
胸が押しつぶされそうになる
 息ができなくなる
息苦しく胸が痛く前進の力が抜けていく
  立っていられない
 へたへたと しゃがみこんでしまう
    イヤ 床にへばり倒れる

毎日そんなことが突然おこる
  
 でも 見た目は元気いっぱい

 バリバリ活動をしている

心はたくさんのことを抱えている
多面性と多様性がある
 そんな心のケアなんて 誰にもできないこと

私の突然襲ってくる悲しみを誰がどうやってケアできるというのだろうか

 健一が生き返らない限り無理
生き返らないことがわかっているから ケアは無理

 そっとして欲しい

私は10年以上の悲しみとの付き合いで
  自分の悲しみとの付き合いはうまくなってきました

 自分は自分の悲しみとの付き合いが上手だと思う
  自分の悲しみの専門家は自分
自分の感情だから・・・

  私の悲しみは 健一と私の宝物
どんなに苦しくても 悲しくても
 それは 私の大切なもの

悲しみが消えたら 健一への思いも消えてしまうこと
 息子健一への思いは消えない消さない消すものではない
    いまも 愛しているから
これからも健一への愛は消えない

 楽になんて生きようと思わない
   楽に生きるなんて考えたくもない

生きているだけで 健一よりは楽をしているんだから

   頑張り続けなければならない
無理にではない それが自然の事
 親として当然
それだって 息子の苦しみに比べたら たいしたことはない
  
 苦しくても悲しくても ご飯は美味しいと感じるようになって・・
     笑うこともでき お風呂に入ってホッとすることも 酒を飲んでいい気分になることもある
生きているということを日々実感
 子供が死んでも 笑える自分がいます
生きているということは残酷な事実を体験確認
  
  それでも 生きています
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