自死遺族の悲しみにだけ興味がある支援

Jacqueline_du_Pre3[1]

書くという気持ちになかなかならず 今日まできてしまった

関西に行ったり 東京に行ったり
 また日々の相談も多く 原稿書きもあり 時間がない・・・?ことも・・・

というより
 自死遺族支援ということひとつをとっても 
  「自死遺族の悲しみ」だけに注目している支援者たちにうんざりが10年続いて・・
    言い続ける気力が削がれている自分がいる

 国ができる いや 国にしかできない自死遺族支援がある
   法律の専門家にだけできる支援がある
宗教者にしかできない支援がある
 ボランティアだからできる支援がある
   県や市町村にしかできない支援がある

遺族だからこそできる支援がある

  それぞれが分担して連携したら総合支援になる

  と言い続けてきた 要望し続けてきた

なぜ当事者の要望を無視して 全部が「こころ」「かなしみ」の支援をしているのでしょう

「悲しい」話を聞きたいのはなぜでしょうか
   自死遺族の悲しい話しになんでそんなに興味があるのでしょうか

息子が死んだ話を聞いたいですか?
  詳細に語りましょうか?

  

 遺族だけで「わかちあい」が大切です
  といいながら
 遺族以外の人が傍で聞き「大変ですね」「お辛いですね」と
   憂い顔で聞いています
遺族ではない人が傍にいて 遺族ではない人が遺族同士のわかちあいが・・・という
   なんで傍にいるのでしょうか
遺族同士のわかちあいではなく 支援者が遺族の悲しい話を聞くというスタイルです
  話しを聞く人がいる
   悲しい経験がない人が
 かなしい人の悲しい話を聞くという会・・・それはわかちあいではありません
  わかちあいがいいということではなく
   それは わかちあいとはいいません

 同じ苦しみ同じ悩み同じ悲しみ   同じ喜び同じ・・・共通するものがないと
わかちあえないのです
 共通するものがあってお互いに分かち合う それがわかちあいです

美味しいものがあって それを同じように美味しいと思える人たちで分かち合って食べて 美味しいという気持ちを共有する
 それもわかちあいです

 悲しいという気持ちがない人と かなしい気持ちでいっぱいの人と どのような気持ちを分かち合えるのでしょうか
    支援する人 支援される人 という区別があります

それが悪いとは言っていません
     それは分かち合いとは言いませんと主張しているだけです

支援してほしいと思う遺族もいます
  悲しみのケアをしてほしいと思う遺族もいるでしょう

 幸せな人たちに かなしい気持ちを聞いてほしいと思う遺族もいるでしょう

  それは支える人 支えられる人 という区別があります

わかちあいは
 相互扶助 お互いさまです

   支える人 支えられる人という区別は存在しません

そして悲しんでいられない人もいます
   様々な問題が襲い掛かってきて 涙を流す時間もない遺族もいます
 泣いていられない遺族もいます
    そんな問題を具体的に解決してあげることも支援です

  亡き人を想い悲しめる時間を作ってあげることも支援です

悲しめないほどの問題解決
   それは 専門家の支援が必要です
    国にも是正してほしい問題が山ほどあります

  遺された人たちが 普通に生きて行くために・・・

  具体的な問題の解決には 誰も手を貸さず
    「かなしいお話を・・」って・・・

こんな社会の仕組みだから自死が減らないんです
    減っているなんてデーターは 操作されているだけ
不審死と行方不明者の人数が増えていますから・・・    

日本人は 都合の悪いことは みてみないふり
    当事者の声が届かないのが日本の社会
自分の身に降りかからないと 動こうとしない
   私もその一人だった
息子が逝き
 闘い続けている・・・声をあげつづけてきた
  10年が過ぎ
・・・・・モグラたたきのように 叩いても叩いても  意味不明な支援が構築される
   自死遺族ビジネス  自死予防ビジネス
       が 増えている 
支援との闘いをいつまで続けたら 自死遺族が生きやすい社会になるのだろう
    
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