お坊さんにしかできない遺族の集いの開催

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お坊さんたちが自死遺族のための集い
(「わかあいの会」と名乗っていますがわかちあいはではありませんので、私は集いと表現します)

それはそれでありがたいこと
でも
せっかくのお坊さんという専門職なのだから お坊さんにしかできないことをやってほしい
自死遺族の話しを聞くだけでは お坊さんでなくてもできる
話し合うだけというのは遺族同士のほうが 心が通う
おなじ体験をした者同士のほうが親近感がわく
言葉を言わなくても「この人たちも私と同じ思いを抱えてる」と思うだけで自分が解放される
自死遺族の自助グループ」の「わかちあい」の場は部屋に入っただけで初めての人は涙があふれる
笑顔で話してもお茶を飲んでいても そこにいる人たちは「同じ悲しみを持つ遺族」だと感じるから。
戦友に会ったような…昔からの知り合いのように、親近感がわく
前から参加している遺族も、同じ悲しみを持つ遺族を温かく迎える
同士として迎える。

お坊さんたちには 仏教の専門家ならではのワークをしてほしい
   そのうえで お茶会や交流会を加えることは すばらしいと思う
 
仏教のお話  仏様のお話
    遺族が安心できる法話
 遺族が救われる法話
    遺族が供養できる法話
遺族が穏やかに暮らせる法話
  
阿弥陀様とは・・・南無とは
仏になるとは・・・極楽とは 生きるとは  死ぬとは
仏様の仕え人としての役目を果たしてこそのお坊さん
   どんな時も 阿弥陀様 お釈迦さまがいることを忘れない人たちであってほしい
阿弥陀様と共に 遺族の話を聞く
お釈迦様と共に 遺族の苦しみを聞く
  茶話会も常に背負っているのは 阿弥陀様でありお釈迦さま
それが
お坊さんにしかできないこと
修行を積んだ宗教家にしかできない遺族支援

集まりを開催してくれることはありがたい
   しかし お坊さんがやるなら  他と同じスタンスではもったいない

特色を出すことは 求める人へのやさしさ
  
法話を聞く時間 廻向の時間 この二つは宗教者ならではの活動と支援

   精神保健福祉センターの主催の会は治療目的の集いとして開催したらいい
     精神科医が主催の会も同じ
   臨床心理士が主催の会は「カウンセリング」が目的
    ボランティアが主催の会は・・・・・・・何が目的なのだろう?
        グリーフケア?かな
  遺族が集う場として
  お寺さんや教会はこれから
     宗教者としての場の提供が 求められるのだと思う

「わかちあい」とは
同じ苦しみ 同じ悩み  同じ悲しみ・・・
おなじ・・・・何か共通するものがあってこそ「わかちあい」ができるのです
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コメント

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人として

拝読させていただきました。人として一人の人間としてお互い話し合えるように、そして僧侶としてお話させていただきたいと感じました。

Re: 人として

話し合いは大切です。ご連絡お待ちしています。
全国自死遺族連絡会 田中幸子