死って 気軽に語るもの?



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死について カジュアルに語る場 
   幸せな人たちの幸せな場所


  自分の子供が死んでもカジュアルに語れるのかな・・・


 遺族のケアをしたい人たち
     遺族の悲しい話を聞くのが趣味?
   遺族の悲しみについて学び
       遺族の悲しい話を聞く
     何にもしない
 ただ聞くだけ
      それでも足りなくて
        死について語るカフェにも参加
   
  その人たちの 心に闇を感じる
       人の死を見て、人の悲しみをみることで
 自分の幸せを確認しているよう
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 息子が逝って
   毎日24時間死について考えている
      親も6人見送り
  親しい人たちも 次々と 逝く
      遺族から毎日電話が来る
 いつも 死の話し
    遺族の会も 新しくつながる遺族の参加
     そこには喪われたいのちがある
 話したくなくても
 考えたくなくても 生活の中に死があるわたし
    私は息子が生き返ったら
       自死の問題から手を引きたい
     息子が自死しなくても
  親も死に 祖父母も逝き
 おじさんもおばさんも逝った
     年と共に 葬儀の参列が多くなる
  いつも死が身近にある
 自分も老いてきた
    もうあと何年か・・と考える
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  哀しみのケアをしたいとか
    死の話をしたい・・・とか
 なぜか歪んだ心を感じる


     幸せでいいのに
  妻がいて夫がいて 子供がいて
    健康で
       絵にかいたような幸せな人たちが


   どうして カナシイ人たちのケアをして
     癒したいのだろう
        遺族の話では足りなくて
  更に 紅茶やコーヒーを飲みながら
     パンケーキでも食べながら
   死を語りたい
なんて          私には理解できない

   自分の周りの死や悲しみで十分

   息子のいのちや自死
自分・・
また、その人たちからも 死を感じ 死を思い 命を思う

        

死は重い

   
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