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息子に許されて元気に生きている。



シラヒゲソウ[1]
幸せってなんだろう

   子供が死んでから 幸せという文字に嫌悪感を覚えるようになった
  楽しいとか幸せという言葉に
    心が反応する 時には吐き気が・・・
        ザワザワ・・・ゾクゾク寒気がする

   楽しみです・・・と手紙にも書かない・・書けない
        幸せです・・・という言葉は もっと書けない

      家族が死んでも 幸せと楽しいを普通に使える遺族がいる
        子供が死んでも ・・・
最近、そんな人たちの記事が新聞に掲載されていたのを読んだ

        私の幸せは子供が生きていればこそのこと。
    健一が自死して
       母親の私が どうやって幸せになるというのでしょう
           私が幸せになるには 健一が生き返るしかない

       身体の一部となった悲しみは もう取り除けない
                生き返らないから・・・

       次男はこういう「俺が結婚して 子供が産まれたとしても
            お兄ちゃんが生きていたころのような幸せにはならない」と。

     健康でいることが幸せ・・・と定義なら健康な私は 幸せというのでしょうか
  でも 健康も100パーセントの幸せではない
      心の空いた穴は大きい
       心に悲しみをどっしりと抱えたままで 健康だから 幸せ・・・というのは
             深い底なし沼のような悲しみを抱えている私には 残酷すぎる
        幸せになれないし なりたくないし なってはいけない
            と  思って生きている
    生きている事さえ 罪悪感があるので・・・
        美味しいものを食べたから幸せとは思わない
     美味しいものを食べても
   美味しいとは思うが 
    息子が生きていたころのように心底美味しいとは思わない
        美味しいものを食べても  必ずこころに深い悲しみがあることを感じている
  息子は死んでいるのに
   美味しいものを食べている自分が許せない
       許せないが美味しいと思う自分がいて罪悪感に苛まれる
         
      健康なことも美味しいものが食べられることも
         死んだ息子の許されて・・許してもらってのこと

  24時間(寝ているときも  夢でも 悲しみがある)
     心が晴れることはない
 快晴にはならない
        少しの晴れ間が見えるだけ

      でも 暗い日々を送ってはいない
     笑顔で明るく元気・・・
 明るく元気で笑顔でも 心には常に悲しみはある

     こういうふうに書くと  ネガティブな人生と思う人もいるようですが
       明るく元気で 飛び回って活動をしています

    国や県・市町村や多くの団体
       その他専門家との連携…講演や原稿書き…
           たくさんの会の開催          
       まだまだ やることがあります
         やらなければならないことが山のようにあります

 息子を死なせた親として  
        明るく元気に
              幸せでない人生で送りつづける
              幸せは感じないけど 元気だけはいっぱい 
   生きています



           
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