悲しい気持ちのケアって…なに

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ふっと
 鮮明に記憶がよみがえる
     健一が生きていたころの日常が・・・

   涙が止まらない

    昨夜 グリーフケア研究会の理事長とグリーフケアについて少し話した
        ただただ 寄り添って話を聞くだけだ・・・ということだった
      
   聞いてもらいたい遺族が参加している
       無理やりには誘っていない
         だから 聞くだけ・・・それがケア グリーフケアだという

     その事業に対して  多額の補助金や助成金が出る

          
      グリーフケア   悲嘆のケア  悲しみのケア

      今日のこの気持ちをどうやってケアしてくれるのでしょう

        会の開催日まで待って…その日のその時間にケアするから来てください・・という会
            
    今日のこの悲しい気持ちは 誰もケアしてくれない
     
         じっと 1か月 2か月 一人で抱えて  2時間ほどの時間 そばで話しを聞いてもらう
             一人で頑張っている時間がほとんど
      
        話したい人が来る  だから聞く・・・ただただ聞く 
          それでケアできていると思っていることがすごい

       その人の悲しみをケアできるなんて 思ったこともない

     私の悲しみも 誰もケアできないと思うから
      わたしのかなしみは 私の悲しみ
         突然激しい悲しみに襲われることもある

        一人で健一と向き合うしかない
    
      話しを聞いてもらうと 一時 悲しみが沈む
          心の底に・・・
    
     でも沈んだだけ
       またふっと 湧き上がる  その湧き上がる思いが強い時も弱い時もある
           が
       ずっと悲しみが沈んでいてくれない

   たとえ 沈んでいたとしても  心の底は重たい悲しみがあることを感じているいつもいつも・・・

   悲しみは 身体の一部になっている

     かなしみのケアという言葉は 傲慢な言葉
        おこがましい言葉

      恥を知る人は 使えないと思う

           10年が過ぎた今も 私の心は悲しみでいっぱい

      ボーっとして 何もしたくないときもある
        悲しくて息が苦しいときもある
         胃がいたい 胸が痛い

    複雑性悲嘆だ   といわれそう

        本物のグリーフケアを受けていないから 悲しみがあるのよ・・・といわれたこともある

       私の悲しみは 健一を愛しているから
         悲しみのケアをすることは 私の愛のケアをすること
     健一を愛している気持ちを
       どうやってケアできるというのでしょう

    1時間聞いてもらっても 悲しみはどうにもなりません
         自分で向き合うしかないのですから
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