裁判では証拠にならず 統計では認められる・・遺書

totiba_ninjin[1]

未遂した人の言葉というのがネットに載っていた
 しかも 海外の人たち

 自死した人の気持ちがこれでわかる・・・ということのようだ

   自死した人と 未遂した人では180度違う
     自死した人は死んでしまった
      未遂した人は生きている

    全く違う

 人間 は  死にたい・・・とか死んだ方がまし  とか よく言う

   自死者の8~9割は一度の決行で死んでいる
   残りの1~2割が 未遂者の自死

    遺書だって  追い込まれたことについてはあまり触れていない
      
      遺書に実名で追い込んだ人のことを書いても 証拠にならない
        なのに なぜ 遺書を証拠として
           原因の統計を公開するのだろう
       
  遺書が証拠となるなら 裁判でも証拠として認めるべきではないか

     未遂者の言葉を 自死者の代弁として捉えるのは大きな間違いである

         自死した本人が死の間際に書いた遺書でさえも
               裁判では原因として認められないのだから

          死にたい・と思うことは 生きていれば何度もある
             そんな思いと本当に死ぬことは別もの

         私は息子が逝って 死のうと思ったが死ねなかった
      だから
     二度と 死にたいとは言わない
          死ぬほど苦しいとも言わない

    死んだ息子に失礼だから・・・
        息子は一度で逝った
      というよりも  失敗してもすぐに繰り返して 逝った

   私の苦しみは そんな覚悟のない苦しみ
     それほど追い込まれていない
          だから生きている

  生きるしかないと 息子に懺悔した時から
     自分の生き方を変えた
    息子が生きていたころのような生き方をするのは 息子に申し訳ない
        煩悩を少なくしよう  
          欲望はなくしよう・・・
       そんな思いで生きている

     でも  イラつき 怒り 許せないことも多い
   
     その都度 反省し 戒め 
           息子を思う  息子の顔を思う 声を思う
               しぐさを思う
   
  遺族である私は
      未遂者と自死した人の気持ちを同じだとする人たちの言葉は傷つく
 誰にもわかるわけがない  息子が死んだ理由
   
  想像するしかない息子の気持ち
            
     なぜ世間はこうも 遺族の気持ちを 切り刻むようなことを
        偉そうに自慢げに もっともらしくいうのだろう
      
  遺族の声は聞かずに  遺書も参考にもせず
      ・・・
      死んだ人の言葉も 遺された人の言葉も
           届けても届けても無視して 
 どうして関係のない人たちの言葉に納得するのだろう

     未遂者と自死者は180度違います
         
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コメント

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とてもわかります

少なくともわかる気がします。