悲しみの文化

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「悲しみもまた私のもの」
「悲しみは愛しさと共に」
「癒したい人の癒しさ」
 「悲しみの文化」
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「同志社大学 日本語・日本文化研究」第13号  PP・25-44(2015・3)
 日本人はどう悲しむか
 日独の自死遺族掲示板コーパスと均衡コーパスを用いた「感情」の言語表現比較の試み





  
要旨

「日本人はなぜ私たちと違う悲しみ方をするのか」
 東日本大震災直後の日本人の行動に対して ドイツ―メディアが投げかけた問いである
こうした
疑問に対しこれまでの心理学の研究成果は
  いくつかの基本的な感情があらゆる文化に普遍的である一方
   感情の表出はその人が属する
      社会や文化の影響を色濃く受けていることを示唆している

この結果からわかることは、ドイツ人は掲示板を 現実にウェブ上にいる同じ苦しみを分かち合うことのできる他者を見つけて
コミュニケートする場として利用し、悲しみを乗り越える方法を模索しているということである。
本章2項で述べた「liebe(親愛なる)」の使用頻度が高かったことも ドイツ人がインターネットの先に現実にいる相手を意識して語り掛けていることを反映している。
それに対し
日本人は掲示板をウェブ上の他者だけではなく、
内的かつ私的な「もう会うことのできない死者」に語りかける場としても利用している
日本語コーパスでは、感情語彙の頻度調査で上位にあった「寂しい」「つらい」に同様に
「寂しかったよね」「つらかったね」など
亡くなった人物の心情を代弁し、語り書ける形式の用例が見られる特徴があり
これらの感情語彙は書き手である遺族自身の心情ではなく遺族が想像した死者のものである
 彼らは、相手の心情を虜り語りかけるという本来コミュニケートできる相手と行うはずの行為を
コミュニケートできなくなった相手(死者)に対して疑似的に行っているのである


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