その人の悲しみはその人のもの

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明日は子供を亡くした親の集い「つむぎの会」仙台

  角田市の自死の対策会議と重なってしまいました。

一年に一度の会議優先にしました。つむぎの会に参加の方々ごめんなさいm(__)m

  わが子の突然の死

    それは経験したものでなければ わからない

人間が作った言葉では表現できない 気持ちがそこにある

   かなしい…という表現では足りない

    悲嘆などという表現では足りない

ましてやグリーフなんて  おそろしく薄く感じる

     自分と息子の間にあるかなしいという気持ちは
       誰にも立ち入ることのできないもの

  私もまた  他の人の悲しみには立ち入ることはできない

       その人とその人が愛する人の死
          は  その人と亡くなった人のもの

 誰も 立ち入ることはできない

      自責の念に潰されようが  それはその人自身

    潰されて欲しくないから  自分の悲しみとの付き合い方を話すが
     それをどのように受け止め、どのように活かすかはその人自身の考え・・・
  誰も 指導はできない  導くこともできない

      自分の生き方の道を 伝えるだけ

        人の悲しみには 入らないこと

     わたしの悲しみは私のもの
  誰のものでもない  私のもの
   私の大切な 息子への愛

        66歳のわたし

     生きていたら息子は44歳 になる 9月

    産んでから44年  
        息子と私の時間
        
    ほんの少しのエピソードで 親子の関係がわかるはずがない

      だから 立ち入らないこと

      基本のルール

   私は  アドバイスを求めてはいない

       アドバイスを求められたら したらいい

  求められていないのに アドバイスをする人が多い

        ましてや 子供を亡くしたことのない人が
  子供を亡くした人に意見なんて・・・

     私はできない

    私には次男がいる
一人っ子を亡くした親の悲しみに対して
   沈黙するしかない

 2人・3人の子供を亡くした親に 沈黙しかない

     自分の悲しみは話せるが
        その人への意見などできるわけがない
           事故も病気も自死も突然死も…・震災も
   突然に家族の死が現実となった時
       その気持ちを
      言葉にすらできない

     そんな人たちに 体験のない人が何を言えるだろう

     体験のないことは幸せなこと

        しあわせなことは ありがたいこと

          しあわせに感謝で・・・・なにより・・・です

     愛する家族の突然の死を体験しないぐらい 
      しあわせなことはない・・・

       私も体験したくなかった

   体験していない幸せに 感謝したら
     体験している遺族に何をいえるだろうか

     遺族ですら遺族の体験に言葉を失い
          抱きしめるしかないときもある・・・

     
            
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