悲しみは愛しさと共に

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明日は「藍の会」
  息子が逝ってもうすぐ10年

    悲しみは変わらず鮮明に存在する

    愛する息子を亡くしたことでの悲しみ

       消しようがない
消されてはならない
    消したくない
   
  軽くならなくていい  楽に生きることを望んではいない
 
       悲しみを消して 新しい人生を生きようとは思わない

    悲しみという重い苦しみを胸にズッシリと抱え込みながら

        悲しみと苦しみの中でもがく人生でいいと思っている
   もがくことも 許されないと思っている

        じっと…ひたすら・・・・息子の死という悲しみと一緒に生きたいと思う

      笑っているのは・・・・自分のもう一つの顔
           社交辞令
       女優のように演じて生きている

      いつもいつも かなしい 笑っていても心底は笑えていない
   まだ演技賞は取れない・・・
        本気で笑っていない・・・が
         演じて笑うこともなれてくる

     笑顔の裏に  泣き顔が潜んでいる

       この気持ちが 誰に理解できるというのだろう
    
  一人の人間の悲しみは その人一人のもの
   誰にも理解できない
  まして 支援などできるわけがない

      70年過ぎても かなしいという人がいる

     悲しみは癒えないという新聞記事・・もたくさんある

一方で悲しみを癒やす活動という支援も掲載される

    不思議
       
      支援者たちは  遺族の悲しみという症状だけを捉える

     暮らしている時間を想像しない

     支援者と会う時間の遺族と
      生活している遺族の顔・・・裏の顔が見えていない

     かなしい気持ちを話す時もあれば  普通に暮らしている時間もある

 普通に暮らしている時間のほうが圧倒的に多い

  月に2時間 支援者の前で悲しい話をする

700時間以上…遺族は支援者以外の人たちと過ごしている

    たった2時間で  癒した…という人は傲慢である

     多くの時間を遺族は一人で必死で生きていることを想像したら・・・
       2時間のセッションで 
 悲しみを癒やしてあげてますなんて・・とても言えるはずがないのだが   

   藍の会も  ほんのひと時・・・
       日常頑張って生きている遺族が 本音を語れる時間になれたら・・・

      その程度・・・のもの

    何か特別なことをする集いではないが
     同じ悲しみを抱えた人たちといる・・・というだけで 
        張りつめて生きているこころが ホッとできる空間
    
   演技がうまくなるのは  本人…その人自身
       
     しあわせな人よりも幸せな顔ができるようになる時が来る

      元気に明るく・・・

        悲しみの河の流れに身を任せて生きていることを
                            知っているのは 亡き人と自分だけ
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