遺族としての生き方

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親を亡くした人
  母を亡くして、その一年後に父もガンで亡くして 
   一人っきりになり
今、分かち合いの会や茶話会等を手伝ってくれてる人がいる
 私が  緊急連絡先にもなっている
  
精神障害を患っているのですが
 頑張ってお芝居をしている遺族もいるので 応援にも行く

遺族の入院の保証人になったり
   就職の保証人になったり
 手術の立会人をしたり
   生活保護の相談やその後の面談にも同席したり
      学校の面談にも親と共に行くこともある

   ズボンやテーシャツを買ってあげたり
  お米やノリを送ったり
      ご飯をご馳走したり お酒を飲ませたり

   引っ越しの手伝いをしたり
     訪問して相談を受けたり

     出来ることは何でもしてきた
 出来ないこともたくさんあるが・・・

   命日を一緒に過ごしてあげたり・・・
     何でも屋・・・

   新聞に取り上げられると
  記者と特別な仲なんでしょとやっかまれたり
       したこともたくさんある
 新聞記者やテレビも含めてマスコミの人とは仲良くしてきた
     特別な仲ではなく、感謝してきた
   取り上げて欲しいから
     知らないでいる人に知ってほしいから・・・
   必要としている人に
   届いてほしいから・・・

    全国に43か所の会がある・・・自助グループ
  また 尾道での会もできた
     ありがたい
     全国自死遺族連絡会の会員たちが立ち上げてくれる
    感謝
子供を亡くした会も気仙沼や石巻は 地元のお母さんたちに任せた
   岩沼の震災で家族を亡くした会も  震災の遺族に任せた

 立ち上げては  任せる・・・ことをしている
    地元の遺族が参加しやすいように・・90歳を過ぎた遺族や
   車椅子での参加・・・
耳が不自由な遺族の参加
   幼い子供を連れての参加

いろんな遺族がいる
         遺族が元気に生きられるように・・・
   なんでもしてきた
   おまじないのお札も作る
       不幸が終わるように・・・

   私は親の離婚で親戚中たらいまわしだったそうだ
      今とは時代が違う
   どこにも行き場所のない私・・・10か月
  女の子を亡くした人たちの養女になった
      他人の養子
   子供を亡くしていた育ての親は やさしく慈しみ深い人たちだった
   
      誰に対しても分け隔てない 人たちに育ててもらった
        自死への差別も偏見も
  田舎なのに 全くない人たちだった
  精神障害の人たちにも  同じにやさしかった
        文字を読めない、書けない母だったが
            尊敬している
   6人とも   亡くなった・・・
  夫の両親も…私の血のつながりのある父も母も
   また育ての両親も逝ってしまった

      私は 育ての両親のようにはなれない
       サチコは しょうがないな・・・
    と苦笑いしていそう
  息子も カァチャン  もういいよ
  俺のことは  何を言われてもいいよ
   カァチャンが 傷つかないでね・・と いってそう
         
     全国の多くの遺族が心配してくれている
  今回も電話やメールをもらった
        ありがたいことです

       沸騰点が低い私
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