自死という死は、愛する家族の死への悼みも平等ではないのでしょうか

 
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 子供を亡くした思いは 同じです。

 私のブログで 私が私の思いを書くことも許されないのでしょうか

   事故のことは私がたまに書くことよりも
      毎年テレビで報道しています
   それは 痛まないのでしょうか
  わたしだって  傷つき痛むこころを抱えて活動をしています

      公開もなにも  毎年大きくマスコミが取り上げている事故です

    私のささやかなブログになぜそんなに反応するのかわかりません

    ブログも毎日毎日  事故の事を書いていません
 
今までのコメントもみて頂けていたのでしょうから
   お分かりでしょうが
 今回も
 削除しても削除しても
      息子の自死について あ~だこ~だというコメントがあります

   息子の死について  他人にいわれたくありません

    私の悲しみは私のもの

   息子と私の間にあるものです

      子供の死を思う後悔と懺悔の気持ちに
                      終わりはないのです
  死ぬまで続く 後悔と懺悔と自責の念
       私が産まれなければよかった
     夫と結婚しなければよかった
    育て方が悪かった・…私があの時こうすれば。・・・・

 事故だけではなく  就職をさせなければよかった
   結婚させなければよかった
     連れてくればよかった
  仕事をやめさせたらよかった
 精神科に連れて行かなければよかった
        この気持ちは 夫も次男も ずっと抱えています

     愛する家族の死は
        ずっと 家族全員に タラ・レバの言葉を言わせるのです
    生きていてほしかった
 なぜ死んだのか・・・・・どうして死んだのか

     あの時  止めていれば・・・

  それは 限りなく 続く思いです
       
      大きく深い悲しみに 押しつぶされそうになりながら
      必死に生きています・・・
   遺族という生き方をどう生きて行くのかはそれぞれですが・・・

   私は自死を0にしたい
      理不尽な死をなくしたい
    死への差別や偏見を取り除きたい
      やさしい人がやさしいままで笑顔で生きられる社会を作りたい

     息子のいのちを活かしたい・・・
無駄死ににはしたくない・・と思い生きています

   ただ 死んだ…だけではなく  息子の死を語ることで
    誰かが生きることにつながってくれたら・・と願い 活動を続けてきました

  活動をするということは ぼろくそにいわれる事も覚悟しなければ
         出来ませんが
    だからといって
 私が 悲しみを忘れ ルンルンで生きているわけではありません

   息子の死を思う時
    事故のことは切り離せない問題です

    事故で亡くなったお子さんの親御さんの悲しみも
    子供を亡くされていない人よりはわかるつもりです
    
    私の息子の死を
       思う時  事故はなかったことにしたらいいのでしょうか

  あの時こ~だったら
    と思い 暮らしていますが  いけないことでしょうか

     あの事故さえなければ…と思うことは そんなにも許されないことでしょうか

      忘れることなんてできません

         事故をなくすることにも 役立てたいと言ってくれる
             交通事故の遺族の方もいます

         私は事故の事だけではなく
            住所も連絡先も公開しています

     あの事故で お子さんを亡くされた人も遺族
      私も遺族

    子供の死は 言葉では表せないほど  の  苦しみ です
   言葉は薄いものです

ましてや 文字なんて・・・
      真意は伝わらないことが多いと思います
   
 単純に  事故のことを書かれると
    辛いです・・と 遺族 本人にいわれたら
       あ!そうですか・・・・・と なったかもしれません

    しかし         
   死んでしまった息子の仕事への対応まで言われるのは
         ひどいことです
   仕事だから 事故の処理をするのは当たり前

     それはそうです・・・が
              親にしたら  死ぬまで追いつめられるほどの仕事なんてありません
   仕事なんて  放棄して欲しい  それでも生きて欲しい
    というのが親の思いです

   この事故がなくても 他の事で過重労働・・・
      そして自死という・・・を連想させる言い方

 どっちみち  死んだと思いますよ・・みたいな
       そんな言い方をなぜ息子はされなければならないのでしょうか

 事故の処理のために懸命に働いたことを  誇りに思っています

  仕事を 投げ出しても生きて欲しかった

   のですが

    
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