息子の死と私の悲しみ方への批判

akebonosou[1]

毎年 5月には テレビで報道されます

  横断歩道を測っているのが息子です。

   新聞にも 祈りの碑のことが大きく取り上げられます

   子供を亡くして 子供の姿を見るのがつらい・・
    でも子供のいない世界に引っ越しもできず 子供を日々みて生きるしかありません

   ブログは見ないという選択ができます
  私のブログは有名ではありませんので 
ネットを開けばトップにでるような人気ブログではないはずです

なぜ  探してまで 読むのでしょうか
    5月のテレビも新聞の抗議しているのでしょうか

  事故の件は 頻繁に書いているわけでもなく たま~~~~~に です

   事故のことも自死のことも  死んだという事実も
      忘れられないこと
  忘れてはいけないこと ではないでしょうか
    なぜ
  私の息子のことまで 批判されなければならないのか
  なぜ
  わたしと息子のことまで批判されなければならないのか
 なぜ息子の気持ちまで 言われなければならないのか

  私は私の活動の批判はいくらでも受けます
   私の批判もいいでしょう

   親失格でもなんでも受けます

 ただ 息子の仕事 息子の自死
 まで  批判される必要はありません

 息子は私の宝です
     交通事故のお母さんにとってもお子さんは  宝でしょうが
    私にとっては私の息子が宝ものです

    自分が世界で一番悲しいという思いは持って当たり前ですが

  あなたよりも わたしのほうが・…悲しいということは相手に言ってはダメです

         わたしにとっては  息子は私のいのちよりも大切な宝です

    警察官は
     事故処理のために  いのちを落としても働け・・・というコメント

    どうせ  どこかで死ぬんだ…という言い方

      私の息子のいのちは軽く
      ご友人の方のお子さんの命は重いのでしょうか

      わたしにとって  大切な大切な息子です

     こんなにもひどいコメントは  ・・・・・・

      昨日東京に行き上智大で打合せ
   夜は 自死遺族等権利保護研究会を開催し
  今日は新宿で  これからの子供たちのために
     デモ行進をして・・・
   帰ってからも   相談の留守電やメールに返事をして・・・
     必死で活動をして

   更に 息子の批判まで・・受けて
     
     子供を亡くした親から・・の批判は・・・・・

あ! 亡くした人ではないんですね
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