犠牲となったいのち

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生きている・・・・・っていいですね

  自死があった高校でも
自分が選んで信頼できたら 満足ではないでしょうか

   自分たちが自信を持って  学び
社会に貢献していくことで 名誉回復をしていったらいいと思います

     過去は過去として認め
 
   忘れることなく 二度と苛めがないように
     日々精進し務めていくことで    
生きている子供も救われ亡くなった
子供の命も救われるのではないでしょうか

  事実は隠すことなく 堂々と受け止めたらいいと思います

    誰かが選んだ高校ではなく
 自分が選んだ高校に自信を持ったらいい

     大量殺人が起きた学校であっても

       悲惨な事件が多かった学校であっても

     それが職場でも  市でも  国でも

         過去の出来事を忘れず教訓として活かしていくことが大切

     野田先生はこんなことを言っていた

    日本は戦争を教訓として活かさなかった
     ドイツは教訓とした

    日本は飛躍的発展を遂げたが

国は  借金だらけ

     人間にはやさしくない  原発の問題もそうだ  活かされていない

 ドイツは健全な経済
     地味な国作りだが    人にやさしい

     戦争の反省を教訓としている

     と

      生きていることはそれだけで幸せです

     生きていたくても生きられなかった人たちの苦しみは
         忘れてはいけない
   
今後いじめのない社会になったとしても

   それは いじめで亡くなった人たちの犠牲の上にある平穏だということを
       忘れてはならない

      生きている人たちの頑張りもあるが

   その頑張りの底には

     尊い命の犠牲があることに思いを馳せなければならない

 それが今生きている人の務めである・…と私は思う

     日本の平和も  多くの尊い命の犠牲の上に成り立っている
    生き残った人たちだけが 努力したのではない
      死んで逝った人たちの いのちが土台となっている



    
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