学びと共に心地よい時間でありますように

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尼崎市 法輪寺 浄土宗のお寺さん

   法話の会  第1回  15時から

   遺族ならだれでも参加できる

        自死に限らない

   お経の意味をあまりにも知らない私たち

      仏教で葬儀をしながら、 ただ漠然と位牌に手を合わせているだけ

        位牌の意味も  仏壇の意味も   北枕の意味も
     
     手を合わせる意味も   お線香の意味も  南無という意味も

         一周忌の意味も

   何もわからず  無宗教でいい・…といいながら
                 悩み苦しみ・…悲しんでいる
     仏様も神様も
         直接生きている人を救うことはできない
      病気を治すとか死者を生き返らすとか
        金儲けができるとか
      結婚相手を見つけてくれるとか  豪邸を建ててくれるとかは出来ない

      教えを信じようと思う心が持てたら
            自分の心の持ち方が変わる
     教えを信じることが出来たら
       迷いながらも 自分の心が自分を救う

         死んだら 何にもない  魂も何も・・・と思うなら
    手を合わせる必要もない
        虫や草と同じ
          生きている人の心の中に残っているとしたら
      それはなんだろう
         思う出すということは何だろう
    虫は虫が死んでも
          虫のことを思い泣くことも さみしいという気持ちもわかない
   草も草が死んでも 泣かない

    人には愛がある

    愛がない人の死は嘆かない
         愛のある人の死   
   身体は消えるが  魂はあると信じたい・・と 私は思う
  信じている  
    なら たましいは  どこにあるのだろう
     そんなことを思うと
   お経の教えを信じてみたい

     信じられるような  法話を何度も何度も聞いて  
          こころから信じたい

      惑うことなく信じる心を持ちたい

  世間の噂話や近所のおばあちゃんの仏教の話ではなく
       宗教者から説いてもらいたいと思っている

      家族関係が親族関係が希薄になった現代だからこそ
        愛する人の死に人は戸惑い
            悲しみはうつ病だという世間の話を信じ
     精神科に行き薬を飲み
          治ることのない悲しみを一生薬で治そうとし  
       いつの間にか 亡くなった人への悲しみではなく
  自分が生きていくのがしんどくなっていく

     人間の人間らしい感情  人間であるからこその感情

   虫や草にはない感情

    感情があるから 起きる 愛する人との死別の悲しみ

   昔々から 人間が抱えてきた苦しみ悩み悲しみ
     
     救いのために宗教はうまれた
    
    人間の力が及ばない 死の悲しみを 抱えて生きる人間のために

    法話を聞く機会が増えたら   
      救われる人々は大勢いる

   広がってほしい   と  願う
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