差別意識について

hana-561[1]
いつものことですが
  何度も途中まで書いて・…電話が鳴り、メールが届き・…手紙を書くのを思いだし
  消して・・・・・・・

 今もメールを数通出し、手紙を書き…フッと・・・

  明日の準備もあるが…夜中でもいいか・…と

    自死遺族の中で
「学校のいじめ」だから自死の中でも他の自死とは違う

 「労災」だから他の自死とは違う

「過労」だから・・・・・・・・

     なぜそう思うのだろうか

 とふと思ったとき  岡先生のエッセイを思い出した

「差別意識について」というエッセイ

 一人の個人において
差別に反対する意識は、その問題にかかわらず普遍的なものであるかどうか

 例えば 障害者差別に反対している人は
   女性差別や民族差別など他の差別にもはんたいしているかどうか・・・

   
「人間を愛する」といいながら
 「人間一般」を愛することはできるはずがなく
   できることは一人一人の人間を愛することだけである


自死への差別に憤りながら

同じ自死に対して  自分の家族の自死は他とは違う・…という人たち

     とてもかなしい

  しかしそんなこと思う私はどうなのか・・・

     殺人をして自死したひとの報道に  息子は殺人をしての自死ではない・・・と 
           思う気持ちはゼロではない       
遺族の会に参加してきたらどう思うのだろうか……と考えてみた

でも 家族で 夫が妻を殺して自死・・・無理心中
       遺族の話を聞いても普通に聞けている

   差別の程度によって
          許されるのだろうか

    ただ・・・・・これだけは言える

       差別の心があってもいい

 言葉にしてはいけない  
                  悲しみ比べと同じ
世界で一番悲しいのは自分・…・・・・それぞれがそう思っているのは普通

   愛が違うから  それでいい

    言葉に出してはいけない

 誰もいないときや  家族間ならいいだろう

       しかし  他人にいう言葉ではない

     苛めであっても
   過労自死であっても
パワハラ自死であっても
体罰自死であっても
    借金であっても
  介護自死であっても
  どんな自死であっても

  死は死である

    殉職であっても  死は死

     それぞれに懸命に生きようとした結果である

   自死者が 100人いれば100人の自死の要因がある

    遺族それぞれに思うのは自由

    でも・・・・
          うちはいじめだから 他の自死とは違う
    うちの息子は過労自死だから
         他の自死とは違う

   ということを聞いて 亡き人たちはどう見ているのだろうか

     悲しみを抱えて生きているからこそ  人にやさしく生きたいと思う        

         
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