私が広げたい法話の会の意味

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法話の会

 自死に限らず 死因を問わず 遺族が対象

「わかちあい」の集いではない

  そして自死ということに 無意識に差別的偏見を持ってる人もまだまだ多いからこそ

    本堂で、ご本尊様の前で集い、お経の教えを説いていただき
      
     いのちはたましいは 死は  皆 平等である

極楽浄土は 皆行けるんだ・・・

  阿弥陀様が お救いくださるのだ・・・

    ということを 共有する時間・・・

      自死という言葉を知らない遺族も
      自死という言葉を知り
 自死は…と偏見を持っていた人たちも

     同じなんだ・・・という 意識を持つことができるようになる空間

そして自死遺族も  特別ではなく  同じなんだ…という意識を持つことができる時間

     それが法話の時間であり  ご説法していただくということ

    差別や偏見は  煩悩であり
人間世界 娑婆のこと

     極楽浄土に  全ての人をお救いくださる仏様がいらっしゃるのだということを信じる

         信じる心があれば  救われる

  そのためにも「わかちあい」とは別な時間が必要だと私は思っている

  自死遺族は違う・…という意識が自死遺族にあるなら

   それは逆差別

       もちろん 自死への偏見差別は他の死因よりもある・・・

しかし だからといって  自死以外に誰も寄せ付けないのでは
    差別や偏見の是正にはならない

  理解してくれる機会を増やすことも必要だと思う

        世間が変わらない・・・というのではなく

   世間を巻き込んで変えていく努力もひつようではないのだろうか

    自死だけで語りたいなら「わかちあいの会」もある

   仲良しクラブなら仲のいい遺族だけでランチやお茶会をしたらいい

      お寺さんでの法話の会は  

   阿弥陀様にゆだねて  「南無阿弥陀仏」のこころで

      煩悩をそぐ気持ちで  参加してほしい

「南無」とは帰依する・・・である

   全てをお任せします全てを委ねます、どうぞよろしく・・・・とひたすら信じ願うこと

      迷い・悩み・苦しみ・悲しみ・妬み・怒り・嫉妬・食欲・……108つの煩悩

      日頃の生活の中で  ささくれた心を
        なめらかにしてくれる時間・…と私は思っています

    あの人がどうだ・・この人がどうだ・・・・

    夫だからいいとか・・・子供だからマシ・・・とか  そんな気持ちを超えた時間

       阿弥陀様の前で 亡き人をご供養し
   生きている私たちの心を清めていただく・・・それもまたご供養

        法話の会が 広がることは

    やさしさが広がるということです

      やさしい気持ちになれますように・・・・と願いを込めて

   法話の会を開催してくれるご住職さんたちに ありがとう   です
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