愛という感情も人それぞれ、悲しみもまた人それぞれ、生き方も人それぞれ

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昨年2回「新般若心経」」をブログに掲載したことがある。

 8月にも掲載している。

震災で子供を亡くしたお母さんが自身のブログに掲載していて
気に入ったので 2回このブログでも掲載した。

   悲しみは愛しさとともに・・・

 毎日どこかでこうしてブログを書いている時間にも死んでいる

  が 私は悲しくない

 震災で2万人死んだという話も  アメリカで子供たちが射殺されたという話も

    大変だろうなぁ~
悲しいだろうなぁ~

    グッと一瞬涙があふれても   

自分の子供が死んだ時のようにはならない

    それは何が違うのか

    愛ではないのだろうか

愛という感情は様々に種類がある

  男女の愛・親子の愛・親の子供への愛・子供の親への愛
     物を愛する愛・ペットを愛する愛・
権力を愛する愛・金を愛する愛・・…・等々 たくさんある

  子供を産むということは いのちがけ

   育てることも愛がなければ育てられない

親の子供への愛は見返りを求めていない

      無償の愛

            子供を育ててみなければ 親の愛は理解できない

   産まなくても育ててみればわかる

       愛の質も様々
あいの量も様々  愛の深さも様々

 同じ愛はない

     人間の幸せは 順番に死んで逝くこと・・・という 教えがある

   祖父母→両親→自分→子供→孫
この順番もそれぞれの立場で違う

  両親も自分という立場でもある
   孫も自分という立場になる

   そして   愛は その人の持っている人間性が加味される

     悲しみが愛でなければ  何からうまれるのだろう

 愛という感情も 悲しいという感情も

     対象となる相手と自分の間にうまれるもの

     昔から逆縁ほどつらいものはないといわれてきた

   だからお地蔵さんという信仰もうまれた

       私は 息子よりも長生きしている
  それだけで十分だ
  せめて息子には私くらいの年齢まで生きてほしかった

    それが親心ではないのだろうか

  支援者に子供を殺す人だっているだろ!といわれた
   そりゃそうだ
親を殺す子供だっている

   稀な人を例にだすなら 何も語れない

    一般的に 子供への親の愛は無償
    
自分は食べなくても子供には食べさせたい
   自分は辛抱しても子供には不自由な思いをさせたくない…と親は思う

   子供が自分の子供には食べさせなくても
   親には食べさせたい・・と思うだろうか

      それで親は喜ぶだろうか

  親は自分が我慢しても子供には…と思うのではないだろうか

      親を6人見送って・・・・・・・・親孝行は何もしなかったが
          親は笑って許してくれていると私は思っている

  親への子供としての甘えだ

    しかし息子は違う

息子も許してくれていると思う
 やさしいから「いいよカァチャン」「俺が悪かったんだよごめん」といってるだろう

    でも 私は親として 自分を許せない

    だから  自分で自分を罰している

  罪の償いとして 活動をしている

     愛しているから・・・今も・・・

               
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