金と名誉・演じる人

img_5[1]

 自死という問題を他人事で生きていた時は 

         政治や官僚・行政に興味もなかった

 日々楽しく 不平と不満を言い  自分の欲望のままでいきていた

      子供が死ぬなんて 思うこともなく…幸せいっぱいに

    健一が仕事に行かれなくなっても 精神科に行って・・…妻も子供もいるから安心していた

   突然の自死

     天地がひっくり返った思いだった

   その後は自死の事だけを考えて生きてきた

      中途半端な活動はできない  息子のいのちの問題だから

    だから この問題で飯は食わない

            自死予防や防止、遺族支援という活動で収入を得ている遺族がいるが
                 私はしない
     支援者という人たちも  この問題で収入を得て生活の糧としている人が多いが
               嫌悪感が湧く

      生活の収入源がこの問題だとしたら
        自死は減らないほうがいいだろう 

  少しだけ減って…また増える…そんな繰り返しがベストだろう
        海外にも支援の講演に行ったり

     日本全体が減った時も  自分たちが関わっている地域が特別に減ったように宣伝し
         周りが減って自分たちの関わる地域が増えたときは
           人数に拘るべきではない・・・とかいう

      富士市のように 増えたら沈黙する地域もある

   モデル地域という言葉に惑わされてはいけない

     〇〇〇モデルとか遺族支援のモデル地域とかいうのは

    先駆的な 素晴らしい対策をしている地域ではない

         ある特定の人たちに 金を支払い 
調査研究をして発表してもらった地域がモデル地域と指定される仕組み

   モデル地域を指定している人からの話し

   「田中さんも宮城県や仙台市をモデル地域にしたかったら
    自分たちにお金を出して調査研究させてくれたら指定になるよ」・…といわれたことがある

  そんな程度なのだ

     仕事で遺族として働いている遺族の話と
           無償で遺族として活動している遺族の話

     遺族という仕事をしている遺族は  見栄え良く脚色して感動してくれるように話す
        時には泣きながら・・・・憂いを帯びた顔で・・・俳優だ

  そういえば  自死遺族支援者のための研修の手法の一つに 演劇の手法があった

   演じる・・・・・・こと  が  大切のようだ

      仕事で関わっている人たちは  それを見て感動する

      自死がゼロになった時  彼らは  失業

              純粋に自死の問題に取り組んでいるとは思えない

    長崎・秋田・京都・神奈川・足立区等々……NPO法人ラ〇〇リ〇クと仲良くしている地域ばかりが
      モデル地域・・・・になっている…

どれだけ税金が流れているのだろう 
    どれだけ  製薬会社から流れているのだろう

    カネまみれの自死の対策
        

        
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

整形外科の病院について

同時に二通同じ文章でメールしております。
いきなり質問して、すみません、

看護師さんが、患者さんをみんなの前で罵倒するのは当たり前でしょうか。

注射一本打たれましたが知らない間に二本分金額請求されるのは通常のことでしょうか。

薬を要らないと事前申請したのに、薬をたくさん処方されるのは医学会でごく自然なことなのでしょうか。

腰痛で入院中、薬のせいで便秘になり、夜中、お腹が張って苦しむので看護師に

浣腸で出してほしいと頼むと、夜中だからできない!と罵倒する看護師。

それでも頼まれて渋々浣腸をしてあげて、5分後に便意をもよおして、ナースコールするもすぐに駆けつけず、トイレにも行けない重い腰痛の患者さんはベッドの中で便をしてしまい、その状況を見た看護師が、「だから言ったじゃないの!!」とわめきちらす病院は正常でしょうか。

その患者さんは、その2日後、腰痛の手術をしてその日に亡くなりました。


父がその病院で1月5日に腰痛で手術することになっています。

痛みの原因は特定しかねるが、とりあえず手術するそうです。

腰痛では名医だそうです…。

私はやめろと言っているのですが、本人は名医だからと言って聞く耳もちません。

お忙しい中、申し訳ありません。5分ほど時間を割いていただいて

お電話してもよろしいでしょうか。

病院ではこれが慣習になって当たり前のことなのかどうなのかわかりませんが、なんだか父が殺されそうな気がしてなりません。

自死の言葉

先日、いのちの電話で通じなかった自死の言葉が、
全く関係ない人の口から出た。

自殺のことですが~と、
先方が言葉添えてくれるというおまけつき。

この方、カトリックの信者さん。

カトリックでは、自殺と言いません、
と言われた。

特に自死関係に関わってはいないし、
そのことについては言えないけど~
とも言われた。

自殺対策に関わってるところが、
遺族については自死、
死んでしまった人については自殺、
と、表現しましょうといってることを話すと、


それは悲しいですね、
と言われた。

自殺に関わってない人ですら、
他者を思いやることが大事、
とわかっているのに、
なぜ遺族支援や自死減らしましょう活動を全面に出してる人や、団体が、
人の気持ちを思いやれないのでしょうか?


実際に会ったことないから、
真意はわからない。

あるフォーラムで見かけた時は、
誰なのかすら知らなかったけど、
下ばかり見ながら、原稿をボソボソ読んでいたから、
今でも印象に残ってる。

今の私なら、直接なぜ?と聞いてしまいそう。

言葉を変えるのではなく、
と言うけど、
自殺を悪ととらえてるように感じたあの提言には、
ノー!を言い続けたい。

いのちの電話で、ガチャンと2回も切られたショックは、
消えない。

でもとくに自死に関係してない人の口から、
自死と出たことで、
少し気持ちが安らいだ。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

世の中は矛盾だらけ

時間がある時に最初から読ませて頂いていました。伏字にされていますが、あなたがここで批判している団体がどこの団体かわかる人にはわかるでしょう。あなたの言動はとても正しくあなたが批判している相手たちはあなたがおっしゃる通りだと思います。あなたは自死に関連するいろんな人々をここで批判しておられますが、あなたに対する批判はどんなにネット検索しても出てきません。少なくとも相手たちはあなたをネット上で批判していないということです。これが、どういうことかおわかりになるでしょうか。

不幸な境遇に突き落とされても無償で活動出来る人は、経済的な基盤が既にあるから出来るんです。家族の経済を支えていた人が亡くなった場合は、ほとんどの遺族は食べること生きることで精一杯で泣いている暇もないし、同じ自死遺族の支援活動をする考えなんか湧かないほど疲弊するのが当たり前です。そんな遺族が、あなたが批判する支援者たちのお陰で、どうにか自分を保ち支援活動に携わることと食べることを満たすことが出来たうえに、今まで関心がなかった人々が少しでも自死に関心を持つきっかけになるなら、あなたが言う”カネまみれの自死の対策”を受け入れる事も私はやぶさかではありません。あなたはご自身の活動の中でいろんな遺族を見ているはずです。

”やさしいひとがやさしいまま笑顔で生きられる社会を”とおっしゃるあなたは世間に擦れていなくて純粋な方なのでしょうね。私は、人間は汚いものだということを前提にしています。行政サービスを活用することはあっても何かを求めることはしません。行政が行っていることは私達国民が”活用”するためのものです。行政側から積極的に私達に手を差し伸べてくれことは原則としてありません。行政が行うことのすべてはそういうものです。行政側の人間が積極的に動けばそれだけ税金を使うことになると分かってらっしゃらないんじゃないかと感じたし、すべて行政に求めたら民主主義ではないし、行政側の人間はお役人で私達以上に法で規制される立場にあることを理解されていないのではないかとブログを拝読して感じました。税金を使っているというあなたが批判する支援団体に対しても私達は行政に対する姿勢と同じでいいのではないかと思います。遺族が活用すればいいんです。あなたがおっしゃるとおり汚い世の中で私も汚い人間です。人を羨ましく思い妬みます。そんな社会でも時々光る何かが見えるからそのたびに姿勢を正しなんとか自分を見失わず絶望もしないで小さな楽しみを見つけて生きて来ました。

遺族が全員同じ方向を向いてはいません。あなたが正しいと思っていることがあなた以外の人間も正しいと思っているとは限りません。正しいことは時代が違えば変わるし状況でも人の立場でも変わり国が違うと変わります。こうでなければならないという考えこそが人を追い詰めるのではないでしょうか。私から見るとあなたは正しすぎる。正しすぎるということは人を傷付けることもある危険なことです。ネット上での批判はおやめになったほうがよろしいかと存じます。書くなら”意見”として理論を立てるべきです。

結構ありますよー

『田中幸子、自死、批判』といれればネット上では結構でてきますよー。
せめて検索のひとつもしてからお書きになられたほうがいいかと。