生き方

09akitakoma_hinazakura1m[1]
故で子供を亡くしたおや・・・・つなみで・・・自死で・・・病気で・・犯罪で・・様々
そんな中で 裁判をする人もいる
        自分ではできないが応援する人もいる
   声をあげて子供の死を伝える人もいる

      声の上げ方も  裁判をする人もいれば  自分の思いとしての発言や
      本を書く人  子供への思いを被災地から離れないという形で表す人もいる

    裁判をしている人を批判する人は多い

      批判は自由

      裁判も自由  

          人は自分は見えない

    自分の背中は見えない   

   自分の生き方…考え方  行動  姿

      どう人に見えているのか・・・・・・・・

しかし 人の背中や姿はよく見える

         自分の亡くなった子供がかわいいように  
他の人も自分の子供はかわいい

   自分の子供が世界一かわいいのは   自分だけ

不細工でも障害を抱えても  自分の子供はそれぞれに世界で一番かわいい
     それを認めあうこと・・・・
    その気持ちがないと・…押しつけになる
押し付けてないというかもしれないが
        傲慢だ

    頭脳の良さを  別な方向に働かせてしまう人がいるが 残念だ

      深い部分まで同じ悲しみではない

    一人ひとり違う

      違って普通  

        亡くなった子供のために生きる方法も違う

    子供のために生きない…という親もいるかもしれない

  いろんな親がいる

    支援者にこんなことも言われた

「子供を殺す親だっている」と・・・

     そりゃそうだ  「親を殺す子供だっている」  

   しかし

  私と息子健一の間にある気持ちは 誰にも批判はできない

      誰にもわからない   私と健一の間だけの気持ちだから

     私は健一を今も愛している深く深く・・・

      だから今も深い悲しみがある

   私も息子の命の意味を活かしたいと思い   遺族の会を開いている

    いのちの意味を  伝え続けることを  他人に批判されたくない

   伝え続けようが沈黙して生きようが  他人に迷惑はかけていないのだから

      今も息子を愛していることを 批判されているのと同じ

   裁判しようが  語り部をしようが

    ボランティアをしようが  離婚しようが  結婚しようが

        旅行三昧しようが
   贅沢三昧しようが
                耐え忍んで生きようが
     ルンルン気分で生きようが  泣いて生きようが

         人の悲しみの抱え方・…人はそれぞれ

    私の生き方を私が語るのも自由  

      誰にも生き方を押し付けてはいない

         それぞれ自分の生き様はどうなのだろうか

     亡き子供が お母さん頑張ってるね・…ありがとう…といってくれているのだろうか

      私は 子供を救えなかった自責の念を抱えて生きている

        自分の子供を自分のいのちを捨てても守るべき子供の命を・・・
        子供に自死というこの世の地獄の選択をさせてしまった親の責任を感じている

        息子も私を今も愛してくれているのを感じる

      カァチャン   大丈夫だよ…という声が聞こえる
        夢の中の健一はいつも優しくいつも微笑んでいる

    私は「息子を愛している」

         子供を愛せない人は   子供からも愛されていない

         自分がを中心に世界は回っていない  どのような世界も・・・

    
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