愛する気持ちと悲しい気持ち

kai_18[1]

自死遺族の自助グループが 新たに できそう・・・
                       ありがたい
半年に1回の開催でもいい  自死遺族だけでの集いが広がってほしい
     悲しみは当事者にしかわからない
 わかるわけがない わからなくて普通  それでいい

    そして悲しみはケアできない
悲しみは取り除くものでもない
        幸せな人たちに 悲しい話を聞いてもらって・・・どうする?
それなら 宗教者に聞いてもらった方がいい
      魂を考えたとき 素人の幸せな人に悲しい話をするよりは
           宗教者に死後の話を聞いたほうがいい
 
 グリーフケアという言葉に惑わされてはいけない
       悲しみは乗り越えるものではないし、乗り越えられない

 愛する家族の死・…その悲しみは超えられない
    身体の一部として抱えて生きていくしかない
 悲しみという存在は 愛しているという感情とイコール
    愛しているという感情があるから悲しいという感情も産まれる
        
健一を愛するという気持ちが  消えることはない
     9年過ぎた今も健一を深く愛している
だから、今も深く悲しみは存在する

    けど 決して悲観的人生をおくってはいない

美味しいものも食べる、笑うこともある、お酒も飲む、
      カラオケだってする、テレビで笑うこともある
   しかしその姿は私のすべてではない
 悲しみでいっぱいになり、涙があふれることもある
     それも私
    突然に悲しくなることもある
      それは情緒不安とはいわない
     人間が生きるということは 感情があるということ
感情がない人は人間ではない
     悲しみのケアをする人というフレーズに惑わされてはいけない
  どんな風にケアをして 悲しいという感情をどのようにしてくれるのか
    人の心の深い部分まで 入れるのか・・・
     人間の心は複雑
自分にもわからない感情が湧くときもある
  自分にわからないことを わかる人がいて、その人が心の専門家だというが
     その専門家も私の心の一部を 
私が計算していたら  計算された私を知った気になるだけ
   こころとはそんなもの
   心理テストなんて
     計算してウソをついたら 自分の心は隠せる

    愛する人の突然の死・・・
       その悲しみは 誰にもケアはできない
悲しみをケアするという人は   傲慢で自己満足しているだけの人

 「ありがとうございました、癒されました」と 頭を下げられ
    その気になっているだけ
お世辞で言う人も多い
 せっかく話をきいてくれた人に 
 ありがとうや助かりましたくらい言わないと申し訳ないと思うから・・

   月に1回1時間2時間で 究極の悲しみから救えるわけがない

     暮らしの ほとんどの時間は  家族や自分だけでの時間を過ごしている遺族
その人の 持っている 求める力 生きようとする力
          その方が大きい
  自己ケアができるようになっている

    その人の持つ悲しみという力を信じることが  
      遺族との集いには大切

  ケアしてあげるのではなく
        一人で立ち上がりひとりで自分のペースで 歩くのを 感じ
          一緒に 少し離れたところを歩いて行く・・・

       そして  歩くのに邪魔があったら 取り除いてあげる…(邪魔者の解決の専門家につなぐ)

   それが 遺族の支援
      
      心のケアなんて おこがましいこと

  厚顔無恥な人たちが 悲しみのケアとか心のケア など
    恥ずかしげもなく使っている
   
  人の心をケアするという人を私は信用しない
     


    
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